連載「世界をつくりなおす、7つの話」 第4話(全7話)

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ある問い

資本家が、10億円の土地を持っています。何もしません。寝ています。数年たって土地は13億円になり、3億円が手に入りました。

一方に、誰もが尊敬する職人がいます。生涯をかけて、真摯にものづくりと向き合い続けた。その生涯賃金が、3億円

この二つの3億円が「同じ価値を生んだ」と、心から、直感的に納得できる人が、どれだけいるでしょうか。

僕は、ずっとこれが引っかかっています。今日はこの問いを、逃げずに正面から考えてみます。

「市場が決めたんだから正しい」?

まず、擁護側の言い分をちゃんと聞きます。曰く——土地の3億は、値下がりしたかもしれないリスクを引き受けた対価だ。すぐ使えるお金を寝かせた我慢の対価だ。そもそも価値は主観的なもので、みんなが13億で買いたいと言うなら、それが価値だ。

正直、それなりに筋は通っています。この理屈で説明できることは、世の中にたくさんある。

📖 経済学の標準的な答え

19世紀後半の「限界革命」以降、経済学は「価値はモノに宿るのではなく、人がどれだけ欲しがるかで決まる」という立場(限界効用理論)を取ります。資本収益はリスクプレミアム(損失リスクの対価)と時間選好(今使うのを我慢した対価)で正当化されます。教科書としては、これが模範解答です。

でも、土地だけは話が違う

ここで一つ、見落とされがちな事実があります。土地の値上がりは、持ち主が何かを作った結果ではないということです。

駅ができた。店が増えた。人が集まって、街が面白くなった。値上がりの正体は、周りの人たち全員の活動が生んだ価値です。それが、たまたま登記簿に名前がある一人の口座に、まとめて流れ込む。

実は、これに最初に怒ったのは経済学者自身でした。

📖 「不労増価」— 経済学が忘れた区別

古典派経済学は所得を「地代・利潤・賃金」の三つに厳密に区別していました。リカードは「地代は生産の対価ではない」と喝破し、J.S.ミルは土地の値上がりを「不労増価(unearned increment)」と呼んで課税を主張。ヘンリー・ジョージの『進歩と貧困』(1879)はこの怒りを一冊にした本で、当時アメリカで聖書に次ぐほど読まれました。「寝ながらの3億」への違和感は、経済学への無理解ではなく、経済学がかつて持っていて、手放した区別の記憶なのです。

そして土地は、まだ序の口だった

ここまでは土地の話をしてきました。でも正直に言うと、土地なんて、この仕組みの中ではいちばん古風で、まだ可愛い例です。

まず、お金そのものの話。僕らは「お金は誰かが働いた分だけ、世の中に存在する」と、どこかで思っています。違うんです。お金は、無から作れる。実際、アメリカで世の中に出回るお金の総量は、2020年からのわずか2年ほどで、約4割増えました。4割ですよ。誰かが4割多く働いたからじゃない。作ったからです。日本では、日銀が持っている資産が、この国の1年分のGDPを超えています。

📖 量的緩和——お金はこうして「作られる」

中央銀行は、国債などを買い取る形で、新しいお金を世の中に注ぎ込むことができます(量的緩和)。リーマンショック以降、そしてコロナ以降、世界中の中央銀行がこれを史上最大規模で行いました。米国のM2(現金+預金)は2020年初の約15兆ドルから2年で約21兆ドルへ。日銀の総資産は700兆円を超え、日本のGDP(約600兆円)を上回っています。お金が「働きの記録」ではなく「政策の道具」であることが、これほど露骨に見えた時代はありません。

じゃあ、刷られたお金は、みんなに均等に降ってくるのか。降ってきません。蛇口に近い順に流れます。金融機関、資産家、株や不動産をすでに持っている人。だから先に上がるのは資産の値段で、給料は一番最後。職人の時給がやっと上がる頃には、家の値段も物価も、とっくに上がり終わっている。

📖 カンティロン効果——300年前に見抜かれていた

「新しく作られたお金は、それが最初に注ぎ込まれた場所に近い人から順に恩恵を受け、遠い人ほど物価上昇という形で損をする」——18世紀の経済学者リシャール・カンティロンが指摘した現象で、カンティロン効果と呼ばれます。量的緩和の時代にこの300年前の洞察が再発見され、「資産を持つ者と持たざる者の格差が広がったのは偶然ではない」ことの説明として使われています。

次に、株式市場。ある会社の時価総額が、たった1日で数十兆円増える日があります。その日、その会社の工場は、数十兆円分のなにかを余分に作ったんでしょうか。作っていません。動いたのは期待という気分です。でもその気分の数字で、現実の家が買える。職人の生涯賃金の、何百人分、何千人分が、一晩の気分で生まれたり消えたりする。

寝ながらの3億に「それはおかしくないか」と言うと、「経済が分かっていない」と笑われます。でも僕には、どちらが正気か、だんだん分からなくなってくる。持っている人のお金は刷られた分だけ寝ていても膨らみ、作る人のお金は、24時間の壁を越えられない。土地の3億は、この大きな仕組みの、ほんの入り口の例にすぎなかったんです。

価格と、価値は、別のもの

だから僕の暫定的な結論はこうです。市場価格は「真理」ではない。それは所有権の法律、登記の制度、金融の仕組みという、特定のゲームのルールの内側でだけ成立する、会計上の約束です。

約束としてはよくできています。世界中の無数の取引を、これほど滑らかに回す仕組みは他にない。でも、誠実に言える最大限は「便利な慣習だが、既知の病理がある」まで。「二つの3億は宇宙の真理として等価だ」と言った瞬間、それは科学ではなく信仰になります。

📖 r > g — 病理には名前がある

経済学者トマ・ピケティは『21世紀の資本』(2013)で、200年分の税務データから「資本収益率(r)は経済成長率(g)を長期的に上回り続けてきた」ことを示しました。働いて得る所得より、資本が生む所得のほうが速く増える——つまり格差の拡大は例外や事故ではなく、この仕組みの仕様だ、ということです。

同じ「円」でも、次元が違う

もう一歩、踏み込みます。この二つの3億は、単位が同じ「円」だから同じに見えるだけで、そもそも次元の違うものじゃないか。

時間は線形です。誰にとっても、1日は24時間。職人の3億は、その線形な時間を、生涯分、一日ずつ燃やした量です。ズルのしようがない。

資本の3億は、複利という指数関数の産物です。元手が大きいほど速く増え、増えた分がまた元手になる。寝ていても、増える。

下のスライダーを動かして、二つの線の「形」を見比べてみてください。

▶ 職人の積み上げ(緑・年750万円)と、10億円の土地の値上がり分(赤・年2.7%の複利)。

職人の積み上げ0円
土地の値上がり分0円
10年後

10年で、土地は寝たまま3億に届きます。職人が同じ数字に届くのは、生涯をかけた40年後。そして40年後の土地は、とっくにその先へ行っています。線は、どこまで行っても線。曲線は、途中から別の生き物になる。

縁起で見ると

前回、「わたしは関係の結び目だ」という話を書きました。その目でこの問いを見直すと、二つの3億の違いがはっきりします。

土地の3億は、街の関係が生んだ価値を、一人がまとめて回収したもの。職人の3億は、一回ずつ、目の前の誰かを助けた関係の、生涯分の記録。数字は同じでも、結び目の質が正反対なんです。

僕の根っこにある試み

ここまで書いて、白状します。この問いは経済学の顔をしているけれど、僕が本当に考えているのは、経済学ではありません。

現代というのは、実業家的世界の論理だけで積み上げられていて、彼らのルールに都合のいい方向へだけ、進化していく。価格が価値を名乗り、計算できるものだけが「ある」ことにされ、計算できないもの——いいセッションの数秒間、職人の手の中にあるもの、誰かを助けた記憶——は「ない」ことにされる世界です。

僕はそれを、恨みや暴力でひっくり返したいんじゃない。平和的に破壊する方法を、ずっと根っこのところで探しています。祭りで。音楽で。爆発で。壊したいのは建物でも誰かの生活でもなく、「世界にはこのルールしかない」という思い込みのほうです。岡本太郎が万博のど真ん中に太陽の塔を突き立てたのと、同じやり方で。

教えてほしい

誤解しないでほしいのですが、僕はこれを、資本主義への呪いの言葉にしたいわけじゃありません。この仕組みの恩恵は僕も受けているし、便利な約束を全部壊せとも思わない。

ただ、どうしても、心のいちばん深いところが納得しない。

価格は、もう答えを出した。でも価値の問いには、まだ誰も答えていない。

もし「寝ながらの3億と、職人の生涯の3億は、宇宙の真理として同じ価値だ」と説明しきれる人がいるなら——皮肉ではなく、本当に、心から、教えてほしいと思っています。

そして——じゃあ、お金で測れないなら、本当に世界を豊かにしているのは誰なのか。それは、次の記事で書きます。

連載「世界をつくりなおす、7つの話」(全7話+補遺)

  1. 第1話 ひとりでは、わたしになれない
  2. 第2話 世界は、二つある
  3. 第3話 太陽は、くれすぎる
  4. 第4話 ふたつの3億円(いま読んでいる話)
  5. 第5話 測れたら、それは幸せじゃない
  6. 第6話 世界は、凸凹でできている
  7. 第7話 脱成長じゃなくて、新しい祭り
  8. 補遺 祭りで、飢餓はなくなるの?

次の話 → 測れたら、それは幸せじゃない