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ひとりの部屋から、NYのオープンマイクへ

若い頃の僕は、ひとりで家にこもって、何かを作ろうとしていました。自分の中を掘れば、いつか答えが出てくるはずだと思っていた。

その考えが吹き飛んだのが、旅先のニューヨークです。たまたま行ったゴスペルや、オープンマイクの熱。全員で声を重ね、その場でどんどん立ち上がっていく音楽に、頭を殴られるような衝撃を受けました。あそこにあった熱は、誰か一人の中には無かった。人と人のあいだに生まれていた。

上手さも、熱も、その人の中に貯まっている財産じゃなく、関係の中で起きる出来事だった。ひとりの部屋では、どうやっても見えないものでした。

すべては、関係でできている

ふだん僕らは「まずモノがあって、あとから関係する」と思っています。人がいて、出会って、関係ができる、と。でも、逆かもしれない。関係のほうが先にあって、わたしは、その結び目として立ち上がる。

📖 それ、縁起っていいます

仏教の「縁起」——独立して単独で存在するものはなく、すべては条件と関係の中で立ち上がる、という見方です。名詞ではなく、動詞で世界を見る、と言ってもいい。哲学者ホワイトヘッドも「世界は固定した“モノ”ではなく、“出来事と関係”でできている」と言っています。

いちばん分かりやすいのは、言葉です。「右」という言葉は、単体では何の意味も持たない。「左」や「間違い」との関係の中でだけ、意味が立ち上がる。言葉は、それ自体でできているんじゃなく、関係でできている。

📖 言葉は“付き合う相手”で決まる

言語学者ファースの有名な一言「その語が、どんな語と一緒に現れるかで、語は分かる」。今のAIはこれを徹底していて、単語を「他のすべての語との関係(ベクトル)」として表します。だから機械でさえ、意味を“モノ”ではなく“関係”として扱っている。前回の記事で書いた「アテンション」も、まさに語と語の関係を計算する仕組みでした。

同じ「ド」の音が、意味を変える(耳で確かめる)

これは、音でやると一発です。まったく同じ「ド」の音を鳴らしながら、下に置く音だけを変えてみます。上の音は一つも変えていないのに、意味(気分)がまるで変わるはずです。

▶ はじめて押したときに音が有効化されます(ブラウザ仕様)。上の音はいつも同じ「ド」。

下の音を選んでください
 
Tone.js 読み込み中…

同じ音が、置かれる関係で「まっすぐ」にも「切ない」にも「浮いた」感じにもなる。音の意味は、音そのものじゃなく、関係の中にある。——これが、縁起の“耳で分かる”版です。

だから、関係を強くすることは、自分を強くすること

ここが、この話のいちばん大事なところ。もし自分の存在そのものが関係でできているなら、関係を強くすることは、そのまま自分の存在を強くすることと同じになります。

孤立して自分だけを磨いていく、という発想には、どこかで限界がくる。結び目は、結ばれる糸が増え、太くなるほど、確かになっていくからです。

“本当の自分”は、探しても見つからない

母といる自分、仲間といる自分、初対面の人の前の自分——どれも少し違います。その全部の下に“たった一個の本当の自分”があるはずだ、と探しても、たぶん見つからない。無いからです。あなたは固いモノじゃなくて、無数の関係が結ばれた結び目なんです。

📖 同じことを言った人たち

仏教の「無我」——確かな自分などなく、条件の関係だけがある。アフリカのウブントゥ哲学の名句「私は、私たちがいるから、私である(I am because we are)」。哲学者ブーバーは『我と汝』で、“わたし”は関係の中で初めて生まれると説きました。ヒュームは、自己とは知覚の“束”にすぎないと言っています。洋の東西を問わず、人は繰り返しここに辿り着いている。

これ、寂しい話に聞こえるかもしれません。でも逆なんです。“探す”のをやめて、“誰と結ばれるか”を選べる、ということだから。

役割は、周りがつくってくれた

正直に言うと、僕が自分の“才能”だと思っていたものの多くは、あとから振り返れば、出会った人たちとの関係の中で、貸し与えられ、育てられたものでした。

ひとりでひたすらやっているだけでは、自分にどんな役割があるのかさえ、分からなかった。いろんな出会いの中で、やれることをやってきたら、いつのまにかそれが誰かの役に立ち、仕事のようなものになっていった。その役割は、僕が見つけたというより、周りがつくってくれたものだったんです。

仕事って、たぶん、誰かを助けること

突き詰めると、仕事って「誰かを助けること」なんだと思います。そして、助け方は一つじゃない。

ステージのど真ん中に立つアーティストは、角度を変えれば、その魅力で誰かの人生を助けられる人。その人を支える仕事を生み出せる人も、いる。そして、その場を、良い空気の、楽しい空間に変えられる力を持った人も、いる。どれも立派に「誰かを助ける」役割で、そこに優劣はありません。

関係の中には、こんなにも多くの“助け方=役割”が眠っている。そして、自分がそのどの結び目になれるのかは、外に出て、誰かと関わってみないと、たぶん分からないんです。

ヘンリー・ダーガーという、もう一つの道

もちろん、誰にも見せず、ひたすら自分のためだけに作り続ける、という生き方もあります。それは立派に、一つの完結した道です。否定する気は、まったくありません。

📖 ヘンリー・ダーガー

シカゴの病院で掃除夫として働きながら、誰にも見せることなく、全1万5千ページを超える壮大な物語と挿絵を描き続けた人物。作品が発見されたのは、彼が亡くなる直前でした。生きているあいだ、彼の世界を知る人は、ほとんど誰もいなかった。“自分のためだけに作り切る”ことの、極北のような存在です。

でも——もし、生きているうちに、誰かと何かを分かち合いたいなら。話は少し変わってきます。

分かち合いたいなら、まず“今いるところ”から

もし分かち合いたいのなら、一度、自分という視点の中だけから出て、外の世界との関係の中で「自分が今どこにいるか」を知り、それを認め、そこから始める。これは、たぶん避けて通れません。

僕自身、それを避けて、ひとりの部屋で答えを探していた頃は、正直、何も動きませんでした。外に出て、自分の立ち位置を認めて、出会いの中でやれることをやりはじめてから、ようやく少しずつ、何かが形になっていった。

ひとりで完成しようとしなくていい。関係を強くすることが、そのまま自分を強くする。

だから僕は、人と人が出会って鳴らせる場を、つくり続けています。あなたにとってのそれが音楽じゃなくても、いい。——もし分かち合いたい気持ちがあるなら、まずは外に出て、一緒に鳴らしてみませんか。