連載「世界をつくりなおす、7つの話」 第6話(全7話)
世界は、もともと全部が凸凹
前回、「測れるなら、それは本質ではない」と書きました。今回は、その「測る」ということを、もう一段だけ深く掘ってみたい。
よく思うんです。本来、世界はすべて凸凹だ、と。同じ木は二本とない。同じ石も、同じ声も、同じ人間も、二つとない。そして自然を見ると、その凸凹どうしが、見事なまでに噛み合わさって成り立っている。森がそうです。生態系がそうです。いいバンドも、いい夫婦も、いい商店街も、そうです。凸と凹が、削られないまま、はまっている。
均一に切り出す、という発明
近代の工業社会は、ここにまったく別の解を持ち込みました。すべてを均一に切り出す。均一にしておけば、どの部品とどの部品でも組み合わせられる。柔軟に、大量に、あらゆるものが作れる——。
まず、フェアに認めます。これは天才的な発明でした。銃も車も薬も家電も、この考え方が世界中に行き渡らせた。僕らの暮らしは間違いなくその恩恵の上にあります。
📖 互換性部品——近代のOS
部品を規格化して「どの個体とも交換可能」にする互換性部品の思想は、18〜19世紀の銃器生産から始まり、フォードのベルトコンベアで完成しました。職人が一丁ずつ削り合わせていた世界から、誰が作っても同じ、どれとでも組み合う世界へ。近代工業文明の、文字通りのOSです。そしてテイラーの「科学的管理法」は、この規格化を人間の動作にまで適用しました——作業を分解し、計測し、標準化する。人間を測って均一にする科学は、ここから始まります。
そして、人間まで削った
問題は、そのプロセスが止まらなかったことです。モノを均一にする論理は、そのまま人間を均一にする論理に滑り込みました。
同じ教室で、同じ進度で、同じテストを受けさせて、一列に並べる学校。同じフォーマットの履歴書。同じ物差しの偏差値。規格に合う凸は「長所」と呼ばれて残され、規格に合わない凸凹は「癖」「問題」と呼ばれて削られる。
その結果どうなったか。全員が凹凸を削がれて、全員が不幸になった。組み合わせやすい人間は増えたかもしれない。でも、見事に噛み合ったときのあの熱は、削られた面と削られた面のあいだには、生まれないんです。
▶ ここに、形の違う二人がいます。組み合わせる方法は、二つあります。
凸凹のまま組む技術は、実在した
「そんなの理想論だ、規格化しないと何も組めない」と思うかもしれません。でも、凸凹のまま組む技術は、この国に千年以上前から実在します。
法隆寺を守り続けた宮大工の口伝に、こうあります。木は、癖を殺さず、癖を生かして組め。右に捩れる木と左に捩れる木を組み合わせれば、互いの癖が打ち消し合って、千年持つ。実際、法隆寺は千三百年、立っています。均一なプレカット材の家の何倍、生きているでしょうか。
僕がいちばん好きなのは、「光付け」という技です。伝統建築では、柱を凸凹の自然石の上に、そのまま立てます。どうするか。石を平らに削るんじゃない。柱の根元のほうを、石の凸凹に合わせて、一本ずつ刻むんです。石の個性は一切削らない。木のほうが、石の形を読んで、それに寄り添う。しかも固定しないから、地震のときは建物が石の上でわずかに滑って、力を逃がす。
近代は、地面のほうを平らにならします。宮大工は、木のほうを石に合わせて刻む。同じ「削る」でも、向きが正反対なんです。相手を規格に合わせて削るのか。相手の凸凹を読んで、自分を刻むのか。
📖 西岡常一と「適材適所」
法隆寺・薬師寺の宮大工棟梁、西岡常一(1908–1995)。「木は生育の方位のままに使え」「堂塔の木組みは寸法で組まず、木の癖で組め」という口伝を受け継ぎました。強い癖のある木は使いにくい「問題児」ではなく、しかるべき場所に置けば誰より強い柱になる——「適材適所」という言葉は、もともとこの宮大工の世界の言葉です。人間を測って揃える前に、この国には、凸凹を読み切って生かす技術体系があったのです。城の石垣の「野面積み」——不揃いな自然石を読み合わせて積む、何百年も崩れない石垣——も同じ思想です。
「効率」という宗教
ここで、一度立ち止まって考えたいことがあります。効率的であること。合理的であること。僕らはそれを、空気のように「良いこと」だと思っている。でも、効率という価値観は、ある種の宗教です。しかも近代以降に生まれた、かなり新しい宗教。
そもそも「効率」という言葉が今の意味——入れたものに対して、どれだけ取り出せたか——を持ったのは、蒸気機関の性能を測るためでした。石炭をどれだけ「仕事」に変換できたか。つまり効率とは、もともと機械のために発明された物差しなんです。それが工場に持ち込まれ、やがて人間の一日に、人生に、適用されるようになった。あなたの働きぶりは、蒸気機関のために作られた物差しで測られている——まず、この事実の奇妙さに立ち止まっていい。
📖 「効率」という言葉の出生地
19世紀初め、フランスの技術者サディ・カルノーらが蒸気機関の研究から熱機関の理論を打ち立て、「投入した熱のうち、どれだけを仕事として取り出せるか」という比率——熱効率——が定式化されました。効率(efficiency)が厳密な数値になったのは、この機械工学の文脈が最初です。20世紀初頭、テイラーの科学的管理法を旗印に米国で「効率運動」が起こり、この機械の物差しが工場労働へ、行政へ、教育へ、家庭にまで一気に適用されていきます。機械の指標が人間の美徳へ——わずか100年ほどで起きた、静かなすり替えでした。
産業革命がもたらした「大量に、速く、安く作れば人は幸福になる」というモデル。効率信仰は、その時代の幸福モデルを、時代が終わったあとも引きずっているだけの価値観です。効率はもともと手段の物差しだったのに、いつのまにか目的の座に座ってしまった。何のために速くするのかを誰も問わないまま、速くすること自体が正義になった。
あらゆる面で、これは危険です。そして、その成れの果てが現代だ——ということに、まず気がつかなければいけないと思うんです。
📖 ウェーバー「鉄の檻」——100年前の予言
社会学者マックス・ウェーバーは20世紀の初め、近代の合理化・効率化が行き着く先を「鉄の檻」と呼びました。合理性を突き詰めたシステムは、やがて目的を忘れ、人間をその歯車として閉じ込める。彼はその住人をこう予言しています——「精神のない専門人、心情のない享楽人」。効率という宗教の成れの果ては、100年前に、すでに言い当てられていました。
「安くて良いもの」という罠
この宗教は、工場の中だけの話ではありません。僕らの買い物カゴの中にまで、入り込んでいます。
安くて機能的な組み立て家具が、驚くほど安いのに丈夫な服が、暮らしを何か豊かにしてくれたような気がする。僕もそう感じてきたし、その便利さの恩恵も受けています。でも立ち止まって見れば、あれは20世紀的価値観と資本集約の延長——果てない効率主義の、行き着いた先の風景です。そして、その「安さ」の陰で、今もどこかの国の工場で、誰かが泣いていないか。
📖 安さの正体——ラナ・プラザ崩落事故
2013年、バングラデシュの縫製工場ビル「ラナ・プラザ」が崩落し、1,100人以上が亡くなりました。入っていたのは、世界中のファストファッションブランドの服を縫う工場。前日にビルの亀裂が見つかっていたのに、納期のために操業は続けられていました。「安くて良いもの」の安さは、魔法で生まれているのではありません。誰かが、見えない場所で、そのコストを肩代わりしている——この事故は、その構造が最悪の形で可視化された瞬間でした。
「安くて良いものを賢く選ぶ」——それは美徳のような顔をしています。でも、よく考えてみてください。僕らが安くて良いものを求めるのは、あまりに資本主義に飼い慣らされた、持たざる者だからであって、根本的には、誰もそんなものを求めていないんじゃないか。
高くて、より良いものがあるなら、本当はみんな、そっちが欲しい。そして、高くて良いものを選ぶ社会が、作る人みんなを幸せにするなら、そっちのほうがいいに決まっている。職人に生涯賃金3億円ではなく、もっとまともな取り分が渡る社会。安さとは価格の話ではなく、誰の取り分を削ったかの話なんです。凸凹を削る話と、まったく同じ構造で。
AIは、どちらにも転べる
じゃあ、これからはどうなのか。僕は、均一な大量生産が世界を幸せにするという幻想は、20世紀で終わった教訓だと思っています。そして今、面白い分かれ道に立っている。
希望的に見れば——AIは、凸凹を凸凹のまま扱うコストを、初めて劇的に下げるかもしれない。一人ひとりの体に合わせた道具。一人ひとりの学び方に合わせた教育。大量生産の時代には金持ちしか買えなかった「あなた仕様」が、誰にでも届く。宮大工が木の癖を読んだように、AIが人の癖を読んで生かす世界。それは技術的には、もう視界に入っています。
悲観的に見れば——同じ技術は、まったく逆にも転びます。パーソナライズとは、あなたの凹凸を誰かが精密に把握しているということ。その把握は、あなたの凸凹にぴったり合わせて、あなたの人生のあらゆる選択を、知らないあいだにコントロールする道具にもなる。削って支配する20世紀のやり方より、はるかに巧妙に。抵抗する気すら起きない形で。
分かれ目は、たぶん一つです。その「凸凹の把握」は、誰のために行われているか。あなたを組むためか。あなたに売りつけ、あなたを操るためか。
📖 監視資本主義
社会学者ショシャナ・ズボフは、ユーザーの行動データから「その人が次に何をするか」を予測し、その予測を広告主などに売るビジネスモデルを「監視資本主義」と名付けました。ポイントは、予測の精度を上げる最良の方法が「行動を予測する」ことから「行動を誘導する」ことへ滑っていくこと。あなたの凸凹の地図が、あなたの知らないところで、あなたを動かすために使われる——悲観シナリオは、SFではなく既に進行中のビジネスモデルです。
凸凹を、削らせない
だから、結論はシンプルです。あなたの凸凹を、削らせないこと。それは欠点じゃない。組み合うための、接続面です。
前に「わたしは関係の結び目だ」という話を書きました。考えてみれば、結び目ができるのは、糸に凸凹があるからです。つるつるに削られた糸は、結べない。滑るだけ。
削って揃えるのは、20世紀のやり方。凸凹のまま組むのが、これからのやり方。
僕が音楽の場を作り続けているのも、結局これです。セッションというのは、凸凹のまま組む技術のことだから。あなたの癖は、しかるべき場所に置けば、誰より強い柱になる。その場所を、一緒に探しませんか。
連載「世界をつくりなおす、7つの話」(全7話+補遺)
- 第1話 ひとりでは、わたしになれない
- 第2話 世界は、二つある
- 第3話 太陽は、くれすぎる
- 第4話 ふたつの3億円
- 第5話 測れたら、それは幸せじゃない
- 第6話 世界は、凸凹でできている(いま読んでいる話)
- 第7話 脱成長じゃなくて、新しい祭り
- 補遺 祭りで、飢餓はなくなるの?
次の話 → 脱成長じゃなくて、新しい祭り