連載「世界をつくりなおす、7つの話」 補遺
自分にツッコミを入れてみる
連載で「腐りかけの資本を祭りで燃やせ」と書きました。書いたあとで、自分の中の読者がこう言ってきたんです。「祭りで使い果たしたら、ほんとに世の中はよくなるの?飢餓はなくなるの?」と。
正直に言うと、僕もそこまで考えずに書いていた部分があります。だからこの補遺では、逃げずに、この問いを最後まで考えてみます。反論は三つ。順番に受けます。
反論① 「花火なんて、資源の無駄遣いだ」
一番よくあるやつです。答えはこうです。お金を燃やすことと、資源を燃やすことは、別物です。
花火大会に1億円かけたとして、燃えて消えるのは火薬と材料の分だけ。残りはどこへ行くか——花火職人、音響、設営、警備、屋台、運営。つまり人の給料です。祭りは労働集約的なので、貨幣レベルの蕩尽は、実際には賃金を通じた再分配として着地します。
▶ 花火大会の1億円。「燃やす」と、お金はどこへ行くのか。
※内訳はイベントにより異なる、ざっくりの図解です。
📖 ケインズ「ピラミッドは二つ建てても良い」
経済学者ケインズは『一般理論』で、不況の本質は「貯め込まれて使われないお金」だと論じ、半ば冗談めかしてこう書きました——古代のピラミッド建設や中世の大聖堂は、直接の実用がなくても人を雇い、お金を循環させた点で経済を救っていた。「ピラミッドは二つ建てても無駄にならない」。眠っている貯蓄を雇用に変えるなら、壮大な「無駄」は立派に機能する——祭りの経済学には、20世紀最大の経済学者の足場があるのです。
反論② 「祭りで、飢餓はなくならない」
これは半分正しくて、半分違います。まず、現代の飢餓の正体から。世界は今、100億人分のカロリーを生産できています。それでも飢餓が残るのは、食料が無いからではなく、買う力が無いからです。つまり飢餓は生産の問題ではなく、お金が上に詰まって流れない問題——この連載がずっと撃ってきた構造、そのものなんです。
📖 アマルティア・セン「飢饉は食料不足では起きない」
ノーベル賞経済学者アマルティア・センは、1943年のベンガル大飢饉(自身が子ども時代に目撃)などの研究から、飢饉の多くは食料の絶対量ではなく「エンタイトルメント(食料への正当な請求力=所得・権利)」の崩壊で起きることを示しました。食料はあるのに、買えない人が餓える。だから飢餓対策の本丸は増産よりも、購買力と権利の分配なのです。
ただし、正直に認めます。東京の祭りは、スーダンの賃金にはなりません。祭りの再分配はローカルです。じゃあ思想として破綻するのか——ここで面白いのは、バタイユ自身の結論です。『呪われた部分』の最終章で彼が現代最大の栄光ある蕩尽として挙げたのは、祭りではなくマーシャル・プラン——見返りを求めない、国境を越えた大規模贈与でした。
つまり、飢餓に対する「祭り」とは、パーティーのことではない。祭りの原理(見返りなしに手放す)を、贈与としてスケールさせたもののことです。そしてそれは、既に一度、焼け跡のヨーロッパを立て直した実績がある。
📖 バタイユの最終章はマーシャル・プランだった
『呪われた部分』(1949)は古代の供犠やポトラッチの分析から始まりますが、最終章で扱うのは当時進行中だったマーシャル・プラン——米国がGDPの数%を投じて欧州復興に贈与した計画です。バタイユはこれを「利潤の論理の外側にある、余剰の栄光ある使い方」の現代版として位置づけました。溜まった余剰を戦争ではなく贈与で発散する——連載第7話の結論は、バタイユが70年以上前に通った道です。
反論③ 「効率主義こそが、世界を食わせたじゃないか」
これが一番強い反論で、そして——全面的に認めます。
飢餓人口の割合は、1970年ごろの約3割超から、今では一桁%まで落ちました。その最大の功労者は、化学肥料と品種改良、つまり「緑の革命」——僕が連載で「宗教」と呼んだ、効率と均一大量生産です。この事実から目をそらして祭りの話だけをするのは、不誠実だと思う。
📖 緑の革命——効率主義の最大の功績
20世紀初頭のハーバー・ボッシュ法(空気から窒素肥料を作る技術)と、1960年代からの高収量品種の普及(緑の革命)は、世界の穀物生産を数倍に引き上げ、推計で数十億人分の命を支えたとされます。均一・大量・効率の思想が人類史上最大の人道的成果を挙げたことは、効率主義を批判する側こそ、正確に認識しておくべき事実です。
だから、連載の主張は正確に絞る必要があります。余剰の行き先は、三つある。
① 生産的投資(工場、研究、肥料、ワクチン——世界を実際に食わせてきた分)
② 蕩尽(祭り・贈与——賃金と物語として人に還る分)
③ 不毛な滞留(投資でも消費でもなく、資産価格だけを膨らませて上に積み上がる分)
連載が撃っているのは、①ではありません。③です。20世紀は①が世界を救った。いま病んでいるのは、③がかつてなく肥大していることです。祭りの思想は「投資をやめて全部燃やせ」ではなく、「③を、②に変えろ」と読んでください。
絞りなおした結論
というわけで、問いに正面から答えます。
Q. 祭りで使い果たしたら、世の中はよくなるの?
A. 「全部使い果たせば」は言い過ぎでした。正しくは——滞留した資本を、賃金と贈与のかたちで循環に戻せば、雇用と、意味と、買う力が同時に改善します。
Q. 飢餓はなくなるの?
A. 東京の花火では、なくなりません。でも飢餓の正体は「買う力の欠乏」であり、その処方箋——見返りを求めない大規模な贈与——は、祭りと同じ原理の、スケールを変えた姿です。そしてそれは、マーシャル・プランという形で、一度うまくいっています。
祭りは、世界の全部は救わない。でも、腐りかけの資本の行き先としては、戦争よりも、金庫よりも、確実にましである。
反論、まだあると思います。見つけたら、ぜひ教えてください。この連載は、そうやって強くなっていくはずなので。
連載「世界をつくりなおす、7つの話」(全7話+補遺)
- 第1話 ひとりでは、わたしになれない
- 第2話 世界は、二つある
- 第3話 太陽は、くれすぎる
- 第4話 ふたつの3億円
- 第5話 測れたら、それは幸せじゃない
- 第6話 世界は、凸凹でできている
- 第7話 脱成長じゃなくて、新しい祭り
- 補遺 祭りで、飢餓はなくなるの?(いま読んでいる話)
第1話から読む → ひとりでは、わたしになれない