連載「世界をつくりなおす、7つの話」 第7話(全7話)

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先に、誤解を解いておきたい

ここまで、お金では価値を測れないという話や、効率という宗教の話を書いてきました。すると、こう思われるかもしれません。「要するに、成長をやめて、慎ましく生きよう、という話ですか」と。

違います。はっきり言っておきたい。僕は、脱成長をやりたいわけじゃない。

📖 脱成長——『人新世の「資本論」』

経済成長そのものを見直し、生産と消費を意図的に減速させて地球環境と両立する社会を目指す思想を「脱成長(デグロース)」と呼びます。日本では斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020)がベストセラーになり、広く知られました。資本主義が地球と人間を使い潰しているという診断の部分は、僕もかなり共有しています。ただ、この記事で書くとおり、処方箋の部分が違うのです。

診断は近い。でも処方箋が違う。縮むこと、我慢すること、抑えること——それが答えだとは、僕にはどうしても思えない。理由は、これまでの記事で書いてきたことの中にあります。人間の余剰エネルギーは、消せない。抑え込まれた余剰は、消えるんじゃなくて、出口を探してさまよう。だから「みんなで縮もう」は、たぶん長続きしない。人間は、そういうふうにできていない。

僕がやりたいのは、縮むことじゃない。新しい未来を作ることです。エネルギーを下げる話じゃなく、燃やす場所を変える話

必要なのは、人を突き動かす「祭り」

そのために、既存のお金のあり方のままでは、ダメだと思っています。ゴムのものさしで測られ、蛇口に近い順に配られ、複利で勝手に膨らんでいく、あのお金の形のままでは。

じゃあ何が要るのか。制度の設計図でしょうか。新しい税制でしょうか。たぶん、それだけでは人は動かない。人類が大きく動いたときには、いつも中心に祭りがありました。理屈じゃなく、人を突き動かしてしまう何か。損得を忘れて、誰もが持ち寄ってしまう何か。必要なのは、新しい祭りなんじゃないか。

あれは花火か、方舟か

ここで、考えてみたいことがあります。ある起業家の、火星移住計画。人類を多惑星種にするという、あの壮大なプロジェクトです。

あれは確かに、壮大な打ち上げ花火のようにも見える。巨万の富を、採算を度外視して、空に向かって燃やす。何十万人もの人がその打ち上げに熱狂する。現代最大の蕩尽、現代最大の祭り——そう見えなくもない。

でも、と僕は考えてしまうんです。あれは本当に祭りなのか。それとも、積み上げの論理が最後まで行き着いた果ての、人々を選別するノアの方舟なのか。滅びゆく地球から、乗れる者だけが乗る船。だとしたら、あれは蕩尽の顔をした、史上最大の蓄積かもしれない。

▶ 同じロケットが、見方で二つのものになります。両方、押してみてください。

 
どちらに見えますか。
📖 アポロ計画は、冷戦のポトラッチだった

1960年代のアポロ計画は、最盛期には米国連邦予算の4%超を呑み込みました。直接の経済的リターンで正当化できる規模ではなく、その本質は国家の威信を懸けた「見せるための蕩尽」——人類学でいうポトラッチに近いものでした。だからこそ、月面着陸の瞬間は世界中の誰のものでもある「祭り」になり得た。月に行ったのは12人でも、あの映像は全員の頭上に開いた花火でした。宇宙開発は、祭りにも方舟にもなり得る——分かれ目は技術ではなく、それが誰のために開くのかです。

そして、ここに強烈な皮肉があります。米ソがロケットで蕩尽合戦をしていた冷戦の45年間、二つの超大国は一度も直接撃ち合いませんでした。歴史家はこれを「長い平和」と呼びます。核を撃つ代わりに、月にお金を燃やして威信を競った——エンタメとして戦ったから、戦争にならなかった時代が、実際にあったのです。

これは偶然ではないようです。人類学者ヘレン・コデアの有名な研究によれば、北米のクワキウトル族は植民地政府に戦争を禁じられたあと、ポトラッチを激化させました。その様子は「財産で戦う(fighting with property)」と呼ばれています。蕩尽合戦は、戦争の代替品として機能する——実証済みなのです。オーウェルも書いています、「本気のスポーツとは、銃撃のない戦争だ」と。そういえば江戸の花火も、玉屋と鍵屋という二大花火師の競演でした。「たまや!かぎや!」の掛け声は、観客による採点。競い合いを火薬でやって、誰も死なない——祭りとは、戦いの火力を人が死なない形に流し込む、人類の古い発明なのかもしれません。

📖 供犠——祭りの、いちばん暗い炉心(少し怖い話)

思考実験を一歩進めると、怖い場所に出ます。あのロケットを「花火」として見るなら、実は、爆発してもらわないと完成しないのです。バタイユが蕩尽の極点に置いたのは供犠——共同体がいちばん貴重なものを、あえて破壊して聖なるものに返す儀式でした。ポイントは、破壊されるものが貴重であるほど儀式は強く働くこと。安物を燃やしても、祭りにはならない。

そして現実に、あの計画の試験機が(無人で)爆発するたび、ファンたちは中継の前で歓声を上げます。成功すれば方舟に近づき、爆発すれば史上最高額の花火になる——皮肉なことに、あの計画がいちばん「全員の祭り」に見えるのは、爆発の瞬間なのです。

祭りの歴史には、破壊の対象が人間にまで及んだ暗部が実在します(映画『ミッドサマー』が描いた不気味さは、まさにここです)。聖なるものと恐ろしいものは、いつも隣り合わせ。だから「新しい祭りを設計する」とは、この炉心の火力を保ったまま、「燃やしていいのは宝と時間だけ。人は、絶対に燃やさない」と線を引き直す仕事でもあるのです。

戦争ではない発散の方法

祭りの記事で書いたとおり、燃やされない余剰は、必ず破局という出口を探します。20世紀は、それを二度の世界大戦で証明しました。溜まりに溜まった資本とエネルギーの、最悪の発散方法。

そして今、世界を見てください。r>g の仕組みの中で、使われないお金が、燃やし場のないまま積み上がり続けている。この世界にストックされた、腐りかけの資本。あれは、いつか必ず出口を探します。歴史に学ぶなら、放っておけば、その出口は戦争です。

だから、これは呑気な文化の話ではないんです。私たちは、戦争とは違う方法で、この腐りかけの資本を発散させる必要がある。栄光ある燃やし方を、戦争より先に、発明しなければいけない。それも、方舟のように選ばれた者だけが乗るものではなく、花火のように、全員の頭上で開くものを。

新しい祭りを、小さく始める

僕の手元にある答えの種は、笑ってしまうほど小さい。音楽です。人が集まって、損得を忘れて、一緒に音を鳴らす場。働く大人が稼いだお金と時間の余りを持ち寄って、若者の音と一緒に燃やす、あの小さな祭り。

火星に行くお金はない。でも、原理は同じはずなんです。人を突き動かすものは、いつも、理屈の外側にある。そして祭りは、大きさじゃない。誰の頭上にも開くかどうか、です。

縮むのでも、戦争でもなく。腐りかけの資本の、新しい燃やし方を発明する。

私たちは、新しい祭りを欲している。僕はそう確信しています。あなたの町の、あなたの持ち場で、小さな火を上げてください。花火は、数が増えるほど、夜が明るくなる。

連載「世界をつくりなおす、7つの話」(全7話+補遺)

  1. 第1話 ひとりでは、わたしになれない
  2. 第2話 世界は、二つある
  3. 第3話 太陽は、くれすぎる
  4. 第4話 ふたつの3億円
  5. 第5話 測れたら、それは幸せじゃない
  6. 第6話 世界は、凸凹でできている
  7. 第7話 脱成長じゃなくて、新しい祭り(いま読んでいる話)
  8. 補遺 祭りで、飢餓はなくなるの?

反論に答える補遺 → 祭りで、飢餓はなくなるの?