要約は、無料になった。

僕は平日、エンジニアとしてAIを使う仕事をしています。この数年で仕事の風景が一変したのですが、その変化を一言で言うなら、こうなります。まとめる作業が、タダになった。

長い会議の議事録も、分厚い資料の要点も、大量のデータの傾向も、いまはAIに投げれば数秒で返ってきます。しかも、そのへんの人間より正確に。少し前まで「要点をつかむのがうまい」「話をまとめるのがうまい」は、それだけで食べていける立派な知的能力でした。僕自身、その能力で給料をもらってきた側の人間です。それが、蛇口をひねれば出てくるものになった。

これは怖い話に聞こえます。実際、怖がっている人はたくさんいます。でも最近、この変化の意味をずっと考えていて、これはむしろ価値の在り処がはっきりする話なんじゃないかと思うようになったんです。今日は、この連載でずっと書いてきたことの、いったんの結論を書きます。

20世紀は「書き下せるもの」の時代だった

まず、少し引いたところから始めさせてください。

科学の法則って、不思議なくらい短いですよね。世界のあれだけ複雑な運動が、ノートの一行に収まる式で書ける。あれは世界が単純だからではなくて、人間が扱える長さに収まったものだけを「法則」と呼んできたから、という面があるらしいんです。実際には、たった三つの星の動きですら一般には式で解けないことが19世紀にはわかっていたそうで、書き下せる法則は、世界の中のごく行儀のいい一角にすぎない。でも人間の頭と紙の帯域では、それしか持ち運べなかった。だから20世紀の知的な仕事は、複雑な現実を、人間が扱える短い形に圧縮すること——要約・抽象化・法則化——を中心に組み立てられてきたわけです。

📖 ひらく: 三体問題の話
二つの天体の運動はきれいな式で解けますが、三つになった途端、一般的な解の式が存在しないことが知られています(ポアンカレの研究が有名だそうです)。世界のほとんどは「三体以上」なのに、教科書に載るのは解ける形の問題ばかり。これは科学が嘘だということではなく、「式で書ける範囲」と「世界の範囲」は別物だ、という話です。

ここで、この連載で書いてきたことがつながります。文字起こしは、声から単語だけを抜いて声色を捨てる(言葉より先に、歌があった。)。採点は、歌から音程だけを抜いて宛先を捨てる(採点は、歌の文字起こしである。)。要約は、文章から要点だけを抜いて体温を捨てる。そして法則は、現実から規則性だけを抜いて例外を捨てる。ぜんぶ、同じ一つの操作です。 高次元の現実から、持ち運べる低次元の写しを取ること。20世紀は、この操作がうまい人の時代でした。

その操作を、機械が無料で、しかも人間よりうまくやるようになった。というのが今です。

価値は「残差」に移る

じゃあ、人間の価値はどこに行くのか。

ヒントは情報理論にあると思っています。情報理論の父と呼ばれるシャノンという人は、情報量を「驚き」で定義したそうです。完全に予測できることを聞かされても、情報はゼロ。天気予報が「明日も地球は丸い」と言っても誰も聞かない。情報とは、予測を裏切った分のことなんですね。

この定義を今の状況に当てはめると、こうなります。要約もパターン抽出も無料になったということは、予測できる部分の値段がゼロに向かっているということ。だとすれば、残る価値は、モデルが予測しきれなかった部分——写しを取ったあとに残る差分に宿る。この差分のことを、機械学習の言葉を借りて残差と呼びたいと思います。

ただし、ここで一つ、正直に注意を書いておきます。「予測できない」だけなら、ただの雑音もそうなんです。サイコロの出目は誰にも予測できないけれど、価値はない。一意であること、予測不能であることそれ自体は、価値の基準にならない。 価値があるのは、構造を持った残差——つまり、聴くたびに新しい何かが見つかるのに、デタラメではなく、たしかに一つの筋が通っている、という種類の逸脱だけです。名演奏と呼ばれるものは、だいたいこれです。楽譜(抽象)から外れているのに、外れ方に必然がある。

抽象化と残差は、敵じゃない

もう一つ、大事な訂正をさせてください。この話の弱いバージョンは「AIが要約をやるから、まとめる力は無価値になる」というものです。僕はそうは思いません。地図が無料になっても、地図は要ります。法則も要約も、これからも要る。無価値になったのではなく、無料になっただけです。

むしろ面白いのはここからで、抽象化と残差は補完関係にあるんです。写しの精度が上がれば上がるほど、写しに写らなかったものの輪郭は、逆にくっきりする。ざっくりした似顔絵の時代には「なんか本人と違う」としか言えなかったものが、超精密な写真の時代には「この一点だけが写らない」と特定できる。AIが上手くなるほど、AIにできないものの正体が明確になっていく。要約が無料になった時代とは、要約しきれないものの値段が上がっていく時代のことです。

📖 ひらく: 「残差」という言葉について
統計や機械学習では、モデルの予測値と実際の値のズレを残差(residual)と呼びます。モデルを改良するとは残差を減らすことですが、面白いことに、優れたモデルほど「残った残差」はただの誤差ではなく、モデルがまだ知らない構造のありかを指し示します。この記事では、その言葉を人間の営みに借りています。

持続する残差は、身体からしか出ない

最後の問いです。どんな残差なら、機械の写し取りに追いつかれずに残り続けるのか。

一発の奇抜さは、すぐ写されます。スタイルは、数年で学習されます。考え続けて出た結論ですが、持続する残差は、たぶん一種類しかありません。生きた身体が、時間の中で、生成し続けているものです。

お金は複利で増えます。指数関数です。データも計算力も、積み上がる側は指数で伸びる。でも身体の時間は、誰にとっても一日24時間の線形で、買うことも借りることも前倒しすることもできません。10年稽古した手の動きは、10年ぶんの試行錯誤の残差が地層になったもので、これは要約のしようがない。要約した瞬間に、それは「型の説明」になって、手の中身は写らないからです。

だから、結論はシンプルです。要約される側に回るな。要約しきれないものを、身体で生成し続ける側に回れ。 昨日と今日で少し違う声、去年と今年で少し違う手つき。その差分の蓄積だけが、写しの精度がどれだけ上がっても最後まで残る。

まとめる仕事は、機械に任せましょう。僕たちは、まとめようのないものを鳴らす仕事に戻る。それは音楽に限らず、料理でも、工具でも、コードでもいい。あなたの残差を、一緒に育てていきましょう。