言葉より先に、歌があった。

20代の頃、僕はボイストレーニングに本気で打ち込んでいた時期があります。その頃に出会って、いまだに手放せない本が一冊あって、フレデリック・フースラーの『うたうこと』という本です。そこに書いてあったのは、乱暴にまとめると「歌声は、練習して作り上げるものではない。人間の発声器官は最初から歌うようにできていて、ボイストレーニングとは、埋もれているその機能を掘り起こす作業だ」ということでした。歌は、構築ではなく、解放。当時の僕はこれを読んで、自分の稽古の意味が根本から変わった感覚がありました。

それから20年近く経って、最近、仕事で音声AIを実装していたときに、この本のことを突然思い出したんです。今日はその話をさせてください。

四つの遠く離れた分野が、同じことを言っている

「歌と言葉、どっちが先か??」という問いがあります。普通に考えたら、まず言葉があって、それに節をつけたのが歌、という順番に思えますよね。僕もずっとそう思っていました。

ところが、調べていくと、まったく別々の分野の人たちが、そろって逆のことを言っているらしいんです。

一つ目は、進化の話。 ダーウィンは『人間の由来』(1871年)の中で、人類の祖先は言葉を話す前に「音楽的な原型言語」で歌い合っていたのではないか、と書いているそうです。求愛の歌が先で、分節された言葉は後。さらに認知考古学者のスティーヴン・ミズンという人が『歌うネアンデルタール』という本で、ネアンデルタール人は語彙や文法を持たない代わりに、旋律とリズムでコミュニケーションする豊かな音楽的伝達の体系を持っていた、という説を展開しているんだとか。言葉は、歌から後で枝分かれした、というわけです。

📖 ひらく: ミズンの「Hmmmmm」仮説
ミズンは祖先のコミュニケーション体系を「Hmmmmm」と呼んでいます。Holistic(全体的:単語に分かれない)、manipulative(相手を動かす)、multi-modal(声と身振りの複合)、musical(音楽的)、mimetic(模倣的)の頭文字。個々の「単語」の意味ではなく、フレーズ全体の旋律・リズム・強弱が丸ごとメッセージだった、という考え方だそうです。邦訳は『歌うネアンデルタール——音楽と言語から見るヒトの進化』(早川書房)。

二つ目は、赤ちゃんの話。 発達心理学者のアン・フェルナルドが1989年に発表した有名な研究があって、そのタイトルがすごい。「旋律こそがメッセージなのか?(Is the melody the message?)」というんです。まだ言葉のわからない赤ちゃんに向かって、世界中のお母さんは自然と声を高くして、大げさな抑揚で話しかける。そして赤ちゃんは、単語の意味がわかるずっと前に、その抑揚——褒められているのか、止められているのか、なだめられているのか——を正確に受け取っている、ということが実験で示されたそうです。人間は一人ひとりの人生でも、言葉より先に、歌を聞き取っているんですね。

三つ目が、さっきのフースラー。 身体の側から見ても、喉は「しゃべる器官に歌を後付けした」構造ではないらしい。喉頭を吊り支える筋肉群(懸垂機構と呼ばれます)は、日常会話には必要のない、大きく自由な声のための仕組みを最初から備えている。フースラーはそれを、文明生活の中で使われなくなった「野生の器官」として描きます。ここは僕自身、稽古の中で実感してきたことなので、伝聞ではなく自分の言葉で言えます。声は、作るものじゃない。思い出すものです。

そして四つ目が、AIの話。 ここで鳥肌が立ったんです。

文字起こしを経由しない、ということ

最近の音声AIには、大きく分けて二つの作り方があります。古い作り方は、音声をいったん文字に起こして、文字で考えて、文字を音声に読み上げる方式。音はただの入れ物で、意味はぜんぶ文字が運ぶ、という設計です。

ところが最新の音声モデルは、文字起こしを経由しません。音そのものを細かい「音のトークン」に刻んで、そのまま処理するらしいんです。つまり、声の高さ、震え、ため、息づかい——文字にした瞬間に消えてしまう情報を、捨てずに意味として使っている。

僕はこのタイプの音声AIを自分のプロダクトに組み込む実装をしたことがあるんですが、実際に触ると、こちらの声のトーンで応答が変わる瞬間があるんですよ。同じ言葉でも、疲れた声で言うのと弾んだ声で言うのとでは、返ってくるものが違う。文字起こしには一文字も現れない差が、ちゃんと届いている。あれは、はっきり言って、ぞっとするような体験でした。機械が、言葉ではなく歌の層を聞いている。

文字が捨てた層を、機械が拾い直している

こう並べてみると、一本の線が見えてきます。

進化の歴史でも、赤ちゃんの発達でも、身体の構造でも、先にあるのは歌の層——旋律、リズム、声色、抑揚——で、分節された言葉はその上に後から乗った階なんだ、という話。四つの分野が、お互いを知らずに、同じ結論に着地している。

じゃあ、なぜ僕たちは「言葉が主で、歌はおまけ」だと思い込んでいたのか??

たぶん、文字のせいです。文字というのは、言葉のうち「書き取れる部分」だけを残す記録技術で、旋律も声色も震えも、ぜんぶ削ぎ落とします。そして人類はこの数千年、文字で記録できるものだけを「意味」と呼び、記録できないものを「ニュアンス」という添え物扱いにしてきた。順番が、記録技術の都合でひっくり返されてしまったんだと思うんです。

面白いのは、その逆転を元に戻しつつあるのが、ほかでもないAIだということです。文字起こしを捨てて音そのものを扱い始めた機械が、「意味は言葉だけじゃなかった」ということを、技術の側から証明し直している。歌の復権が、いま一番進んでいる場所は、実はテクノロジーの最前線なんですよ。

あなたの声は、もう完成している

フースラーの本の一番好きなところは、これが「持っていない人が努力して獲得する」話ではなく、「全員がすでに持っているものを掘り起こす」話だ、というところです。歌は特別な人の才能ではなく、言葉より古い、人間の標準装備。赤ちゃんの頃のあなたは、間違いなくその層で世界と交信していました。

だから、歌がうまいとか下手とか、あの採点の数字とかは、この話の前ではずいぶん小さいことです(この「採点」の話は、次の記事でちゃんと書きます)。

言葉にする前の、声そのものの層。あなたはそれを失ったんじゃなくて、使わなくなっただけです。一緒に、掘り起こしていきましょう。