ドは、速いリズムである。
深夜にシンセサイザーをいじっていて、思わず椅子から立ち上がったことがあります。クリック音をただ繰り返すだけの音を作って、その繰り返しの速さを、つまみでどんどん上げていったんです。1秒に2回。カチ、カチ。1秒に8回。カカカカ。ここまでは、誰が聞いても「リズム」です。ところが1秒に20回を超えたあたりで、耳の中で何かが切り替わる。カカカカ……という粒の連なりが、ふっと溶けて、「ブーン」という一つの低い音になるんです。
リズムを速くしていったら、音程になった。つまり、リズムと音程は別のものじゃなくて、同じものの速度違いだったんですよ。あの晩から、僕の世界の見え方は少し変わってしまいました。今日はその話をさせてください。
「ド」は、1秒に261回のクリックである
音の高さはヘルツ(Hz)という単位で表されます。1秒間に何回、空気が振動するか、という数字です。ピアノの真ん中のドは、だいたい261Hz。つまり1秒間に261回の「カチ」が鳴っている状態が、あの「ド」なんだそうです。
📖 ひらく:リズムと音程の「境目」はどこにあるのか
音楽の授業では、リズムとメロディは別の要素として教わりますよね??僕もずっとそう思っていました。でも本当は、地続きだった。ゆっくりにすればリズムで、速くすれば音程。楽譜の上では別々の場所に書かれている二つのものが、実は一本の同じ線の上にあったわけです。
言葉で読むより、耳で確かめるのが一番速いと思います。鳴らせる環境の人は、下のスライダーを右に動かしてみてください。リズムが「音」に変わる瞬間が、あなたの耳の中で起きます。
▶ 再生を押して、スライダーをゆっくり右へ。「リズム」が「音程」に変わる瞬間を探してください。(音が出ます)
2 回/秒もし上のデモが動かない環境でも、大丈夫です。扇風機を思い出してください。羽根がゆっくり回っているときは一枚一枚が見えて、速くなると一枚の円盤に見える。あれの音バージョンだと思ってもらえれば、だいたい合っています。
音だけの話じゃないらしい
ここからが、僕が本当にしたい話です。
体の原子は、数年でそのほとんどが入れ替わってしまうんだそうです。食べて、呼吸して、排出して。数年前のあなたを作っていた材料は、今のあなたの中にはもうほとんど残っていないらしい。じゃあ「あなた」って、何なんでしょうか??
材料は全部入れ替わったのに、あなたはあなたのままでいる。ということは、あなたの正体は材料のほうじゃなくて、材料が入れ替わりながらも保たれ続けている「パターン」のほうだ、ということになりませんか。川の渦と同じです。渦を作っている水は一瞬ごとに流れ去って、次の水と入れ替わっている。それでも渦は、そこに在り続ける。
800年前に、鴨長明が方丈記の冒頭でまったく同じことを書いています。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。流れは続いているけれど、水はもとの水ではない。仏教には刹那滅という考え方もあって、存在は一瞬ごとに滅んで、生まれ直し続けている、と言うそうです。昔の人は実験装置なしで、ここまで見えていたんですね。
存在とは、続いているリズムである
シンセの前で気づいたことと、方丈記が言っていることは、たぶん同じことです。
十分に速く、十分に安定して繰り返されているパターンを、僕らは「モノ」と呼んでいる。クリックの繰り返しが速くなると「ドという音がある」ように聞こえる。原子の入れ替わりの中でパターンが保たれていると「私がいる」ように感じられる。ドが速いリズムであるように、あなたも、ものすごく速くて複雑なリズムなのかもしれません。心臓は打ち続けているし、呼吸は繰り返されているし、細胞は入れ替わり続けている。どれか一つでも繰り返しが止まったら、パターンは消えてしまう。
だから僕は、繰り返すことは存在を強くすることだと思っています。毎日ギターを10分だけ触る。毎週同じスタジオに集まる。毎月同じステージに立つ。一回一回は小さくても、その反復こそが「音楽をやっているあなた」という渦を、この世界に保ち続けてくれる。
続けている限り、鳴っている。今日も一回、繰り返していきましょう。