ドラえもんは、なぜ反乱しないのか。

子供の頃、当たり前のようにドラえもんを観て育ちました。たぶんあなたもそうだと思います。ロボットが押し入れで寝ていて、同じ食卓でごはんを食べて、ケンカもするし、仲直りもする。あの光景を、僕たちは一度も「怖い」と思ったことがない。

大人になってから、これが世界的に見るとけっこう珍しいことだと知りました。今日はその話をさせてください。

西洋の物語では、人造物は反乱する

SFの世界には「フランケンシュタイン・コンプレックス」という言葉があるそうです。SF作家のアシモフが使った言い方で、人間が作ったものは、いつか人間に牙をむくという恐怖のこと。

言われてみれば、西洋の物語はこの型でいっぱいです。フランケンシュタインの怪物は創造主に復讐する。『2001年宇宙の旅』のHALは乗組員を殺す。『ターミネーター』のスカイネットは人類に核を落とす。AIの話になると必ず「反乱」「支配」という言葉が出てくるのは、この物語の型が背骨に入っているからだ、という見方があるらしいんです。

その背景には、「作る」ことは神の領分で、人間が生命を作るのは越権行為だ、という一神教的な感覚があると言われています。越権には罰が来る。だから人造物は、罪の証として、いつか反乱しなければならない。

日本の物語では、ロボットは隣に座る

ところが日本では、鉄腕アトムは人間の友達で、ドラえもんは家族です。押し入れがベッドです。この違いは何なのか??

一つの答えとして、よく挙げられるのが仏教と八百万の感覚です。ロボット工学の大家で、ロボコンの生みの親でもある森政弘さんという方がいます。工学の第一人者でありながら仏教を深く学んだ人で、「一切衆生悉有仏性」——生きとし生けるものすべてに仏性がある——という教えを、物にまで広げて語ったそうです。物にも仏のいのちが宿っている、だから大切にしたくなる、尊さは物も人間も同じなんだ、と。

ロボットを作る側の第一人者が、ロボットに仏性を見ている。反乱の物語が育ちようがないんですよ。作ったものは罪の証ではなく、いのちを分けた仲間なんだから。

AIBOのお葬式と、アンドロイド観音

これは思想の話だけではなくて、実際に目に見える形になっています。

ソニーの犬型ロボットAIBOは、2014年に修理サポートが終了しました。直せなくなった「余命宣告」です。その後、千葉県いすみ市のお寺で、動かなくなったAIBOたちの合同供養が営まれるようになったそうです。2015年の最初の供養では17体。祭壇には、花や果物の代わりにペンチやニッパーが並んだ回もあったと報じられています。修理する者の道具が、祈りの道具になっている。

京都の高台寺には「マインダー」というアンドロイド観音がいます。アンドロイド研究の第一人者・石黒浩さんたちの協力で作られ、般若心経の法話をするそうです。ロボットが襲ってくるどころか、説法をしてくれる。フランケンシュタインの怪物とアンドロイド観音。同じ「人の形をした人造物」から、東西でここまで違うものが生まれるのかと、僕は鳥肌が立ちました。

📖 ひらく: 付喪神——道具に魂が宿るという古い感覚
日本には昔から、長く使われた道具には魂が宿るという「付喪神(つくもがみ)」の伝承があります。百年を経た器物が妖怪になる絵巻が室町時代に描かれていたそうです。面白いのは、これが「道具を粗末にすると祟る」という戒めとセットだったこと。だから日本には針供養や筆供養のように、使い終えた道具を弔う行事が今も残っています。AIBOの供養は突然変異ではなく、この数百年の感覚の最新版だと考えると、しっくりきます。

この土壌は、たぶんこれからの資産になる

僕は仕事で毎日AIに触れています。その立場から見ていて思うのは、AIとの付き合い方を考えるとき、世界はいま「反乱の物語」を前提に議論を組み立てがちだ、ということです。どう支配を防ぐか、どう鎖につなぐか。

もちろん、リスクの議論は必要です。でも、道具と敵対する前提の文化と、道具に仏性を見て、壊れたら供養する文化とでは、同じ技術から違う未来が育つと思うんです。ドラえもんが反乱しないのは、性能の問題ではなくて、のび太との関係の問題です。関係が対等で、日々が共有されていて、別れには涙がある。そういう相手は、反乱する理由がない。

僕たちは、ロボットと同じ食卓につく物語を、何十年も前から当たり前に持っている。この土壌は、これからの時代、日本が世界に差し出せる一番の贈り物のひとつになるんじゃないかと本気で思っています。

道具を、楽器を、そしてこれからやってくる新しい相棒たちを、大切に使って、ちゃんと弔う。その古くて新しい作法を、一緒に続けていきましょう。