ケインズは、100年前に遺言を残していた。

宛先は、孫たちの世代。つまり、ほぼ僕らです。今日は、その遺言を開封する話をさせてください。

大恐慌のどん底で書かれた、楽観論

ジョン・メイナード・ケインズという経済学者がいます。20世紀で一番有名な経済学者と言っていいと思います。その人が1930年に、「孫たちの経済的可能性」という短いエッセイを書いたそうです。

1930年というのがすごい。世界大恐慌の真っ只中です。街に失業者があふれて、誰もが「経済はもう終わりだ」と思っていた時期。そのどん底で、ケインズはまったく逆のことを書いたらしいんです。——この不況は一時的なものだ。100年後、人類の生活水準は4倍から8倍になっている。技術の進歩と複利の力で、経済問題——食うための闘い——は解決されているだろう。労働は週15時間もあれば足りるはずだ、と。

100年後というと、2030年。もう、ほとんど今なんですよね。だからこのエッセイは、僕らの世代に宛てた手紙として読める。答え合わせをする係は、僕らです。

予言は、半分当たった

答え合わせをしてみると、これが面白いんです。

前半は、ほぼ当たったと言われています。先進国の生活水準は、実際に4〜8倍のレンジに届いた。むしろ超えたという計算もあるそうです。大恐慌のどん底で「複利の力を信じろ」と言い切って、その通りになった。さすがです。

外れたのは、後半。週15時間労働です。僕らはいまだに週40時間、下手をするともっと働いている。生産性は予言どおり上がったのに、なぜ労働時間だけ外れたのか??

ここが一番面白いところで、実は、外れた理由をケインズ本人がエッセイの中にちゃんと書き残していたらしいんです。彼は欲望を二種類に分けていました。ひとつは絶対的な欲望——お腹が空いた、寒い、といった、他人と関係なく満たせるもの。もうひとつは相対的な欲望——他人より上でありたい、という欲望。そして、前者はいずれ満たされるが、後者には際限がないかもしれない、と自分で但し書きを付けていたんだそうです。

つまりケインズは、自分の予言が外れるとしたらどこで外れるかまで、当てていたことになる。僕らは「足りない」から働き続けているんじゃなくて、「隣より少ない」から働き続けている。比較の競争には、ゴールテープがないんです。

📖 ひらく: 「孫たちの経済的可能性」について
J. M. Keynes "Economic Possibilities for our Grandchildren" (1930)。数ページの講演エッセイで、のちに評論集 Essays in Persuasion に収録されたそうです。「100年以内に生活水準は4〜8倍」「週15時間労働で足りる」という予言のほか、「金銭愛はいずれ、なかば犯罪的で、なかば病的な性癖として、精神病の専門家に引き渡される」という過激な一節でも知られていると言われています。労働時間の予言が外れた理由については、経済学者たちの間でいまも論争が続いているのだとか。

「生きる技」を磨いてこなかった、という心配

このエッセイには、もうひとつ、僕が鳥肌の立った箇所があります。

ケインズは、経済問題が解決したあとの人類を、手放しで祝福してはいなかったらしいんです。むしろ心配していた。豊かさがやってきたとき、人類は困惑するだろう、と。なぜなら僕らは何世代にもわたって、稼ぐための技術ばかり磨いてきて、自由な時間をどう生きるかという技術——彼の言葉で言うと art of life、生きる技——を磨いてこなかったから。金持ちの奥様たちが豊かさを持て余して不幸になっているのを見ろ、あれが人類の未来の予行演習だ、みたいなことまで書いていたそうです。辛辣ですよね。

art of life。以前「アートとテクノロジーは、もともと同じ言葉だった。」という記事で、artの語源は「技」だという話を書きました。ケインズがこの言葉を選んだのは偶然じゃないと思うんです。生きることは、才能ではなくて技である。技だから、稽古できる。そして彼は、その稽古を続けてきた人たちの例として、詩や歌に生きる普通の人々を挙げていたと言われています。

僕は平日、エンジニアとして働いています。通勤の途中でふと、「この豊かさは、何のための豊かさなんだっけ」と思う瞬間があります。ケインズの答えは明快です。経済は手段であって、目的は生きることそのものだ。彼は経済学者のことを、歯医者くらい謙虚で有能な専門家であるべきだ、と言ったそうです。歯の治療が済んだら、歯医者の仕事は終わり。そこから先の人生は、患者のものです。

告発ではなく、引き継ぎ式

この話を、「資本主義は間違っていた」という告発として書くこともできます。でも、僕はそう読みたくないんです。

ケインズがやってくれたのは、リレーの前半でした。食うための闘いを終わらせる仕事。それは彼の世代から僕らの世代までの100年で、少なくとも技術的には、かなりの部分が達成された。すごい仕事だったと思います。ありがとうございました、と言いたい。

そして、遺言の本体はここからです。経済問題が解決したら、次の問題は「生きる技」だ。そっちの稽古は、孫たちよ、あなたたちの仕事だ——。

つまりこれは告発状ではなくて、引き継ぎ式なんです。バトンはもう、こっちに渡っている。稼ぐ技術を磨く係は、世の中にもう十分います。足りていないのは、生きる技を稽古する係、そして稽古できる場所のほうです。

僕が週末に音楽の場を作り続けているのは、たぶんこの引き継ぎを受けたからです。音楽は、生きる技の稽古として、たぶん人類最古のもののひとつです。上手くなるためでも、稼ぐためでもなく、生きるために鳴らす。そういう場所を、これからも増やしていくつもりです。

100年前の遺言に、返事を書きましょう。受け取りました、と。ここから先は、僕らの番です。