教育は、150年しかない。

正確に言うと、いま僕たちが「教育」と聞いて思い浮かべるもの——同い年の子どもを一つの教室に集めて、時間割とチャイムで区切って、全員に同じテストをする、あの仕組み——の話です。あれは人類がずっとやってきたことではなくて、日本で数えると明治5年(1872年)の学制から、まだ150年ちょっとしか経っていないんだそうです。

このことを考え始めたきっかけは、音楽の現場でした。セッションイベントを運営していると、初めて来た人に「自由にやっていいんですよ」と声をかける場面がよくあります。でもこの言葉、正直に言うと、ほとんど機能しないんです。自由にやっていいと言われた瞬間、人は固まる。何を弾いてもいいと言われることが、何を弾けばいいか分からないという不安に、そのまま変換されてしまう。なぜなんだろう??とずっと思っていて、調べていくうちに、教育というものの歴史に行き当たりました。今日はその話をさせてください。

「自由にやりなさい」という命令

「自由にやりなさい」という言葉は、よく考えるとおかしな構造をしています。自由は命令された時点で自由ではなくなる。ベイトソンという人類学者が「自発的であれという命令」は人を身動きできなくさせる、というようなことを言っていたらしいんです(ダブルバインドと呼ばれているそうです)。

📖 ひらく: ダブルバインドについて
グレゴリー・ベイトソン(1904-1980)は、矛盾した二つのメッセージを同時に受け取ると人は身動きが取れなくなる、という「二重拘束(ダブルバインド)」の理論で知られる人類学者です。「自発的にやれ」はその代表例とされていて、従えば自発的ではなくなり、従わなければ命令違反になる。どちらを選んでも失敗になる構造なんだそうです。

ただ、僕が本当に残酷だと思うのは、そこではありません。強制された自由よりもっと残酷なのは、採点基準を隠したまま採点することだと思うんです。

美術大学の話をよく聞きます。「自由に作りなさい」と言われて作ると、なぜか評価が分かれる。評価する側には基準がある。でもその基準は明文化されず、空気を読めた人だけが読み取っていく。村上隆さんが著書で、芸術の世界には厳然とルールがあるのに日本の美大はそれを教えない、と怒っていたそうなんですが、あの怒りは「ルールをなくせ」ではないんですよね。ルールがあるのに、あるということ自体を隠すのが欺瞞だ、という怒りだと僕は受け取りました。

つまり問題の軸は、自由か強制か、ではないんです。ルールを開示するか、隠すか。基準を全部見せた上での正直な採点は、基準を隠した偽の自由よりも、ずっと誠実だと思うんです。

学校は、工場の形をしている

では、基準を隠して「自由」と言う、あの仕組みはどこから来たのか。調べてみると、万人向けの学校教育そのものが、思ったよりずっと新しいものらしいんです。

世界で最初に就学を義務化したのはプロイセンで、1763年に5歳から13歳の子どもを学校に通わせる法令を作ったのが先駆けだと言われています。目的ははっきりしていて、富国強兵。つまり、規律を守る兵士と、時間通りに働く労働者を大量に育てることだったんだそうです。日本がそれをモデルの一つにして学制を敷いたのが明治5年。ここから数えて、まだ150年ちょっとです。

そう思って教室を見直すと、ちょっと鳥肌が立ちます。始業のチャイムは工場のベル。時間割は工程表。同い年で束ねるのは規格を揃えるため。全員に同じテストをするのは検品。学校は、工場の形をしている。これは比喩ではなくて、成り立ちからしてそうだった、ということらしいんです。

誤解しないでほしいのですが、僕はこれを告発したいわけではありません。この仕組みのおかげで読み書きが行き渡り、近代日本が立ち上がったのも事実だと思います。ただ、「教育とはこういうものだ」と僕たちが信じ込んでいる形が、実は特定の時代の、特定の目的のための発明品で、しかもまだ150年しか経っていない——このことは、知っておいていいと思うんです。

150年より前にあったもの

じゃあ、150年より前、人はどうやって技を身につけていたのか。

稽古です。徒弟制、道場、寺子屋。師匠の仕事を見て、型を写して、年数をかけて身体に入れる。

面白いのは、稽古の構造が美大の話のちょうど裏返しになっていることです。美大は、表面は自由(自由に作りなさい)、実際は隠れたルールで採点される。稽古は、表面は不自由(型を写せ、まだお前の色は出すな)、でも実際は、何をどの順番で身につければいいかというルールが最初から全部開示されている。自由は、守破離の「破」と「離」として、型の後からちゃんとやってくる。

偽の自由と、正直な不自由。 僕は、後者の方がずっと人に優しいと思っています。セッションで固まってしまう人に必要なのは「自由にやっていいんだよ」という言葉ではなくて、「まずこの型から写せばいいよ」という開示なんです。

700年前の稽古論

稽古の世界には、こういう考え方を支える古典があります。徒然草の第百五十段に、こんな話があるそうです。芸を身につけようとする人は「うまくなってから人前に出よう」と言いがちだけど、そう言う人は一芸も身につかない。まだ下手なうちから上手い人の中に交じって、笑われても恥じずに稽古を続ける人は——ここからが有名なところで——「天性、その骨なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば」、つまり生まれつきの才能がなくても、道を守って年月を重ねれば、ついには上手の位に至る、と。

700年前に、もう書いてあるんですよね。才能でも自由でもなく、型と年数だと。

それでも、美化はしない

ここまで書いておいて、正直な留保をひとつ。昔の徒弟制がすべて良かったとは、僕はまったく思っていません。師匠の権威が私物化されたり、修行の名のもとに搾取が起きたり、そういう暗部が実際にあって、だからこそ近代の学校教育に負けたんだと思います。

だから、150年前から持ち帰るのは「型と年数」という骨組みだけでいい。「師匠の絶対性」は置いてくる。基準は全部開示して、権威ではなく仕組みで守る。それが、いまの時代に稽古をやり直す条件だと思っています。

私たちは教育をしません。稽古をします

150年の教育は、規格の揃った人を大量に育てることが得意です。でも、音楽のように、一人ひとりの身体に技を刻む営みには、たぶんもともと向いていない。そこに必要なのは、基準を隠した自由ではなくて、基準を全部見せた上での、正直な型と、十分な年数です。

私たちは教育をしません。稽古をします。——いつかそう言い切れる場を、時間をかけて作っていくつもりです。まずはあなたの近くの型をひとつ、写すところから。一緒にやっていきましょう。