最後に残る仕事は、受信だと思っています。
僕は平日、AIを使うエンジニアの仕事をしています。この数年、現場で肌で感じてきたことをすごく雑にまとめると、こうなります。プログラムは決定論の世界で、書いたとおりにしか動かない。AIは推論の世界で、確からしいほうへ賭ける。いまのエンジニアリングの鍵は、この2つの配合を間違えないことです。決めるべきところは決定論で固めて、揺らいでいいところだけAIに任せる。
これは断言します。毎日やっている仕事の話なので。
直感まで、併合されはじめた
ところが最近、様子が変わってきました。
少し前まで、「AIは作業はできるが、判断はできない」と言われていました。どの市場に張るか、どの案を捨てるか、誰に何をどう伝えるか。いわゆるビジネス的な直感の領域は人間の聖域だ、と。でも正直に言うと、その聖域はもう半分くらい併合されています。大量の事例を吸い込んだモデルは、「経験豊富な人の勘」にかなり近いものを出してくる。勘の正体が過去のパターンの圧縮なのだとしたら、それはAIの得意分野そのものだからです。
送信の側——何かを生成し、判断し、出力する側——は、これからも際限なくAIが上手くなっていく。僕はそれを止められるとは思っていません。
じゃあ、人間には何が残るんでしょうか??
クオリアを、特権にしない
こういうとき、よく持ち出されるのが「クオリア」です。赤の赤さ、痛みの痛さ。感じられる質はAIには絶対に分からない、だから人間は特別だ、という議論ですね。
哲学には有名な思考実験があるそうです。白黒の部屋で色について全知識を学んだ科学者メアリーは、初めて色を見たとき新しく何かを知るのか(マリーの部屋)。外から見れば人間と完全に同じに振る舞うが内側では何も感じていない存在はありうるのか(哲学的ゾンビ)。どちらも100年議論しても決着していないんだとか。
📖 ひらく: マリーの部屋と哲学的ゾンビ
ただ、本当のことを言うと、僕はクオリアを人間の特権として振り回すことには気が進まないんです。感じられる質の正体が「多感覚的な連想の網が一斉に光ること」なのだとしたら、似たような網を持つ機械にも、いつか似たような何かが宿るかもしれない。「人間だけは特別」という前提から出発する議論は、歴史的にだいたい負けてきましたし。
僕の立場は二段構えです。究極的には、人間とAIにそんなに大きな差はないのかもしれない。それはそれとして、いまここで人間として生きる自分たちには、確かに手放せないものがある。矛盾しているようですが、仏教には昔から、究極の真理と日常の真理を両方持って生きる、という考え方があるそうで、僕はこの構えを気に入っています。
残るのは、受信の三つの層
その「手放せないもの」を、僕は受信と呼んでいます。送信はAIに譲っていい。でも受信は、身体を持ってその場にいる者にしかできない。少なくとも三つの層があると思っています。
一つめは、手触り。 身体は、スペック表に載らない超高密度のセンサーです。会場の空気が変わった瞬間、握手の力の微妙な加減、音が「鳴っている」のと「届いている」のとの違い。データ化された時点でこぼれ落ちるものを、身体は毎秒受信しています。
二つめは、人のあいだに生まれる熱。 以前、「一人では、自分になれない」という話を書きました。アイデアや情熱は、個人の頭の中で完結して生まれるのではなくて、人と人のあいだの見えない場所で発火する。あの熱は、一人分の知能をいくら積み上げても合成できません。その場に、身体ごと参加している者だけが受信できる。
三つめは、うまく言えない何か。 降ってくる、としか言いようのないものです。ここは笑われてもいいので正直に書きます。作っているとき、明らかに「自分が考えた」のではないものが来る瞬間がある。あれが何なのか、僕には説明できません。
天才は、才能ではなく受信だった
三つめについて、面白い話があります。古代ローマでは、ゲニウス(genius)というのは特別な人の才能のことではなくて、すべての人に一人ずつ付いている守護霊のことだったそうです。天才的なひらめきは「その人がすごい」のではなく「その人のゲニウスが届けてきた」と考えられていた。詩人は創造者ではなく、受信係だったわけです。
天才(genius)という言葉が「一部の人だけが持つ能力」を指すようになったのは、ずっと後のことらしい。もともとの世界観では、全員にチャネルがあった。差があるとすれば、才能の量ではなく、受信機の手入れの差だったのかもしれません。
だから、音楽なんです
送信がAIのものになっていく時代に、人間の側に残るのは、手触りのクオリア、人のあいだの熱、そして降ってくる何かを受け取る力。
そして——ここまで書いてきて、あらためて思うんですが——リアルな音楽には、その全てがあるんです。 空気の振動を肌で受ける。合わせた瞬間に人のあいだで何かが発火する。ときどき、誰のものでもないフレーズが降ってくる。ライブの現場は、受信の訓練場としてほとんど完璧にできている。
なぜ今さら音楽なのか、と聞かれることがあります。これが僕の答えです。受信機は、鳴らさないと錆びます。一緒に、手入れしていきましょう。