title image

”普通のこと”を積み上げていくうちに、普通でないものが見える。

image

Hiroshi Yoshida

2016-03-04

ことクリエイティブな領域においては、普通でないこと、新しいこと、驚きのあること、そういう新鮮さが求められる場面もたくさんあります。しかし、そういうものも、普通のこと、ありきたりなこと、ルールの上にあるからこそ光るものです。

普通のことができない人が、普通じゃないことをやっても伝わりにくい。

こちらの記事で以前書いたことと矛盾するようですが

ルールも正解もない。みんな新鮮なものを求めてる。

新鮮なものを作る意味でも、やっぱり普通のことは大切。基本的な音楽理論、作詞の典型パターン、よく聞くようなアレンジ、メロディ。そういうことを一通り身につけた上で新しいことを模索していくことは、例えて言うなら、日本語をしっかり覚えた上で小説を書こうとすることに似ているかもしれません。

そもそも日本語の使い方が変だったりする作家が売れたりするでしょうか?とりあえず、だれが読んでも一通り意味の通じる言い回しで文章が作れるからこそ、その上でいろいろな表現ができるものです。

まず、なんでもかんでも斬新で自由すぎると子供にでもできるものになってしまいます。もちろん子供はみんな天才だ!は自由な発想ができるという意味で正しいと思いますが、意図してやっていることと、知らないでたまたま面白くなってしまった、ということでは、再現性も違ってきます。もしプロを目指すのであれば、100回やって100回成功できるようにしないといけない場面が多々あります。

そういう意味でも、やっぱり音楽理論などの一通りの知識は体に染み込んでいる必要がありますね。

音楽でいうなら、リズムの面などでいうとわかりやすいです。みんなが嫌いな(?)練習に、メトロノームに合わせて練習するというのがありますが、なぜこれをやるのか、それは常にリズムを機械のように正確に合わせろということではなく、自分のリズムの軸を安定させるということです。

常に一定のテンポで演奏できない人が、意図して急に早くしたり遅くしたりできるでしょうか?本人はできているつもりでも、聞いている人には伝わらない場合がほとんどです。

僕は一通り普通のことができるようになってからオリジナルを作ったほうがいい、とは思いません。最初の頭が柔軟なうちからオリジナルを作ろうとしていくことが、作るということの訓練にもなると思うので、知識ばかりに頼らず、自由に積極的に創作すべきだと思います。

でも、それだけでは限界がすぐくると思うので、同時進行でいろいろな基礎の勉強もしていくべきだと思います。そこからまた新しいアイデアが生まれて、作品のクオリティも上がっていくはずですよ。