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視点を変え、価値観を変えられる人は成功をつかむ。

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Hiroshi Yoshida

2016-05-29

昨今いろいろなところで目にする”こだわり”。こだわりの商品とかいろいろありますが、こだわるって実は本来悪い意味の言葉だったことを知っていますか?

視点を変え、もっと大きな目で自分を見れる力が必要。

こだわりという言葉は、本来、つまらないことに気持ちがとらわれてそのことに必要以上に気をつかう、拘泥するという意味だそうです。昨今では”こだわり”はいい意味に捉えられていますが、このギャップはどこから来たんでしょうか?

何か一つのことを徹底的に極める。というのは、確かに聞こえはいいかもしれません。でも大体、何かで偉業を成し遂げるような人も、その分野の範疇でいろいろなことに取り組み、試行錯誤しているものです。

何かに集中して自分の中で納得するまで形にするという姿勢はたしかに大切かもしれませんが、結局どんな道でも、どこまでいっても極まるということはないもの。

そんな時、ふと、何のためにそこを追求しているのか?本来の自分の目的は何だったのか?そんな風に視点を変えて、新しい価値観でまた何かに挑戦していける心が大切なんです。

何かに秀でた人はみんな持っている”メタ視点”、”抽象化する能力”、”俯瞰する能力”。

自分が考えていることを、もう一人の自分がちゃんと認識して客観的に判断できる。そういう視点、能力があれば、常に自分を省みることができ、成長のスピードも上がります。

感情に飲まれない、エゴに囚われない、情報に振り回されない、直感力を鍛える、物事の裏にある大きな法則性(普遍性)に気づける、そんな力もここから生まれます。

こういう視点を、もっともっと大きな視点に変えていけることができたら、すべてのことはちっぽけなことですよね。人間一人が地球の上で悩んでることなんてほんと宇宙の塵のようなもんです。

で、音楽のことにからめていうなら、例えば機材へのこだわり。理想の音を追求するために、あらゆる機材を調べては買い試していく、そういう職業の人には必要なことかもしれませんが・・本当にあなたに必要なのはそれですか??と言いたくなるような人もよく見ます。

そしてジャンルや音楽性へのこだわり。自分はロックだ、ソウルだ、ヒップホップだ、そんなことをいう人に限って、誰かの影響の元でしか自分の価値を認められない、ジャンルの皮を被ることでしか自分の存在を表現できないので、そこに囚われて抜けきれない。そもそも、その人が作ったジャンルでもないでしょうに。

さらに、一番陥りがちなのが、自分が少し成功したパターンへのこだわり。たまたまそれが成功しただけなのに、自分はこれだ、という風に思い込んで客観的な判断ができなくなる。新しいことへのチャレンジができなくなる。

ちょっと友達に”いいね”と言われたことに囚われたり、逆に友達がダサいというものに無意識に同調していたり・・。他人の価値観を全く受け入れないというのも違うし、同調しすぎるというのも違うはず。すべての視点をもって、さらに上の視点でみてみる力が必要ですよね。

とにかく広い視野を持って、本当のところはどうなのか?自分の行きたいところへ行くためにはどういう考え方が必要なのか?ということを判断できるようになれなければいけません。

”こだわり”を捨てる勇気もときに必要。

そもそも人は自分がほしいものをよくわかっていませんよね。お金?地位?名声?安心、愛、笑い、・・すべての”幸せ”につながる要素を、何となく漠然と欲しているだけでしょう。

幸せになる方法ならいくらでもあるし、ときに諦めることですべてが楽になって新しい道が開けることだってあります。

もちろん、思い込みのせいでずっと続けていたら、大きなチャンスが巡ってくることだってあるわけで。

その判断をどんな風に下すか?そのために、いかに自分のことを大きな視点で見つめなおせるかという能力が大切なのでは??