Hiroshi Yoshida
2016-05-22
自分はどう見られているか?ちゃんとやれているのか?かっこよく見られているか?いろいろなことに思い悩むプロセスもきっと必要な時期があるでしょう。しかし、アートとはそこを超えてなにかもっと大きなものを表現することではないか?というお話。
一流になりたい?それならジャズマンガ「BLUE GIANT」を読むべし。 : まだ東京で消耗してるの?
こちらの記事で紹介されてた漫画、まさにミュージシャンにはいろいろ考えさせられる部分がありそうですね。漫画も読んでみたくなります。
”エゴ”という言葉、概念はひとそれぞれいろいろな捉え方があって、伝えることが難しいですが、この話には”エゴ”と、それを超えた何か、のことが描かれている気がします。
主人公ユキノリは自分のソロがどうみられているか、イケてるのか、と思い悩む。しかし、そんなことを考えること自体、次元が低い、と一蹴する。これ本当に大切な感覚で、でもなかなか説明することが難しいんですよね。
しかし、多くのひとにとっては理解しがたい感覚ではないでしょうか?自分の作品がどう見られているか、極限まで突き詰めて考えるからこそ、いいものになるのでは?という風に思うひとも多いはず。
しかし、本当は、そういう”自分が、自分が、”というエゴのレベルで発せられるものより、もっと大きなもの、生命としての根源的なところから生まれるモチベーションに突き動かされた表現にこそ、多くの人の魂に訴えかけるものになる、と僕は解釈しています。
ジャズという音楽は、アドリブを核として、右脳も左脳もフルに使って、人間の能力を限界まで突き詰めていくというような表現を探求してきた歴史があるので、いろいろ学ぶことが多いですね。
以前にも書きましたが
”あなたが思っている以上に、あなたのことを誰も気にしていない。”ということがわかると、もっともっと自由に自分のエゴから解放されていく気がしませんか?
特に、ライブをする上でも、自分がどう見られるか?いかに上手いと思われるか?ではなく、そのライブの時間を、そこにいる全員にとっていかに素晴らしいものにするか?という発想に変えてみたら、違った音楽が生まれると思いませんか?
そもそも、音楽をやる理由ってなんですか?あなたがモテたいからですか?w もちろん、初めはそれでもいいと思います。でも、音楽ってみんなで共有されて、みんなが感動できて、みんなが熱狂できて、楽しめてこそのものですよね?
ライブを見ている人たちの根源的な欲求、それは、ただそこで生きていることに感動したい!というようなもの。あなたのアラ探しをしに来ているわけではないはずです。(中にはそんなひともいるかもしれませんが、その人もエゴに囚われているだけなので、振り回される必要はありません。)
僕もいろいろなひとを見てきましたが、エゴに囚われたままの人の作品やライブは、結局自分がどう見られたいかということに囚われ過ぎていて、なんだか入り込めない、共感できないと思うことがあります。
もっともっと大きなもの、その空間全体とのつながりみたいなものを感じて、いいパフォーマンスをしていけたら、やっている本人ももっともっと楽しくなりますよ。