否定形、義務系、は体を縛り付けるのと同じ。
レッスンでもよくあることなのですが、なになにをしてはいけない、という風にいうと人は逆にそのしてはいけないなにかを意識するようになるので、その何かのイメージを頭に描くことになりますよね?
そうすることで、そのイメージを頭にもってしまうために、してはいけないはずのそれをやってしまうというケースがあるらしいです。
例えば子供のころに、これはしちゃだめよ!といわれたらいたずら心か好奇心からそれをしたくなってしまう、みたいなことと似ているかもしれませんね。
そんなことないよー、と思うかもしれませんが、たとえば
①この道を通ってはいけません
と言われることと、別の道を示して
②こちらの道がとても素敵な景色が見える道です
とだけ言われることと、何のこだわりもなく、何の事前情報もない旅先に行ったとして、だれかに言われたらどちらを通りますか? か?いわずもがなですよね。
でも、逆に考えると、前者のこの道を通ってはいけません、と言われると逆に興味がわいて通りたくなる人もいるはずだし、印象に残ってしまう人もいるはず。
そういうことって、日常でたくさん起こってるんですよね。選択肢もなく②の知識しかなければ、ずっとうまくいくイメージしかない。たとえそこに少し障害があってもそもそも選択肢がそこしか提示されてないのだから、そこを通るモチベーションさえあればそこを通りますよね。
これは極端な例かもしれませんが、物事を肯定的にとらえるというのそれだけの違いがあるのだと思います。
否定形で理想の姿を語れることはない。
将来の夢を語るときに、~にならないこと!という言い方をする人はいますか?いたとしてもよほどひねくれている感じがしますよねw
否定形は、結果として指し示すのが何らかの範囲にしかならないので、ピンポイントでこれ、ということを言うことができません。つまりなんの理想にも目標にもなっていないということです。
そのあいまいな定義がかえって混乱を生み、自分の気持ちさえ分からなくすることがあると思います。でも、よく教育の場面では、~しちゃだめよ、~みたいになっちゃだめよ、ということが言われる。ほとんどの人がそのようなイメージをどこかで植え付けられて、逆の悪いイメージに引きずられて苦しんでいる場面があるのかもしれません。