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アーティストにどこまで客観視が必要か?

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Hiroshi Yoshida

2021-3-31

自分の魂の赴くままに表現することこそアート、という考えもあれば、客観性をもって冷静に判断をすることも必要なこともあります。さてどちらが大切でしょうか?

自分と世界の境界線があいまいになる点を求めて。

ある意味で、芸術というのは内面の探求、と説明されることも多いですし、客観的な視点というのはそもそも限界があると思われるので、やっぱり俺は俺で行く!俺の心が震えるかどうかがすべてだ!!

となるのは絶対的に正しいと思います。そして、自分の心が震えていれば、必ずその震えが誰かに伝わっているというのも真実。

しかし客観性というか、他社の目線で何かがひらめくこともあるし、新しい視点が表現の幅になったりもする。

誰もが成長する過程ではそういう試行錯誤を経て、一人前になっていくものですが、逆に完全に客観的な視点、たとえばどう見られているか?ということを気にしなくなるというのも難しい。

ある種悟りのような境地に至らないと、どちらの方向性でも振り切ったものはつかめないような気もしています。

自分も他人も同じようなものだ。

究極いうと結局、芸術のすばらしさは何故だかわからないけど誰もが同じような感情をもっていて、それを見せつけられたときに何かが共感する。そんな感情を共有できることこそが喜びであるので

違うようでいて、同じ何かを見つける作業だったり、同じようでいて違う何かを見つける作業だったり。

どちらにしても、はっとさせられるようなものに出会ったときに、心が同調して反応するんですかね。

とまあ、よくわからない話になりましたがwそんなことを考える3月末の日でございました。