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泣き声、鳴き声は、歌のはじまり。

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Hiroshi Yoshida

2019-10-15

最近はボイトレから派生?して、より生理的に人間が発声する時の声こそが発声としても、表現としても理想的なのではないか??という仮説を持っていて、人間が生まれた時に発声する1番の声、泣き声というのにいちばん興味があります。

 感情がこもると自然と泣いている?

僕はよくよく考えるとそうなんですが、歌っていて気持ちが入ってくると自然に泣く声に近づいているような気がします。泣くときは自然に喉も開き、腹圧も高まり声帯の閉鎖も自然に強まる感覚があるのですが

そういう自然な感情表現には全ての本質が含まれている気がして。ボイトレも大切なヒントになることがあるし、実際ボイトレをしなければ絶対にできなかった、気づけなかった喉の使い方はあって

たとえばミックスボイスだったり喉に負担をかけずに声量をあげる方法だったり。そういう所はボイトレをしなければ習得できなかったと思いますが、

結局の所人間が生理的に、生来持っている感情表現、声の出し方の中に、理想的な発声だったり、声でだれかに何かを伝える、という本質を伴った声の表現が備わっている。

よくよく考えれば当たり前なのだけど、そんなことを改めて思うようになってからは、科学や医学、生理学的な分析もヒントにはなるかもしれないけど、メンタルの持って生き方、イメージ、そういうことが改めて大切だし、何かを簡単に解決してしまうポテンシャルを秘めているなあと思っています。

遠くの人を呼ぶとかね。

昔から僕がよく言っている、遠くの人を呼ぶ時に自然に通りやすい声が楽に出ている、というようなことも、技術として考えるより遠くに呼びかけてみるイメージがあるだけで全部自然にできたりする。

そんなことで乗り越えられる場面は多いなと思ってます。なにより体の使い方がどうだとか、変なことを意識しなくても、一番後ろの席の人まで伝える気持ちで歌おう、という方が本質的。

そう考えると、その人が何を意識して歌ってるのか?がそのまま歌に出てるだけ、というのも納得ですね。