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正しいか、正しくないかを決めるのは、行動の結果のみ。

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Hiroshi Yoshida

2018-02-12

素晴らしいアイデアが出るまで行動しない、というのもよほどの信念があればいいと思いますが、とにかく走り出してから結果が出るまでやってみる。そしてそこからまた進んでいくのがいいという話。

やった人間が世の中を変える。だから”言うだけ”ではどんな良案も無価値。

大したことない人が成功しているとか、行動しない人に限って目立っている人の文句を言いたがりますが、結局世の中は行動した人間が実際に作っていくもの。

当たり前ですが、正しいか正しくないかなんて関係なしに、行動によって実際に何かを推し進めた人間が、自分の理想の姿に世界を変えていき、何もしない人は次第にその世の中にそって生きていかなければならないようになる。

誰もが自由に、平等に生きる権利があるとはいえ、結局一人では生きられないこの世界では、多くの人と同調して生きる必要がある。

ということは、やはり多くの人が信じている価値観、行動習慣にある程度は沿っていかなければ生きづらい。

そんな風に世の中は進んでいくのでしょう。だから、何もせずにうだうだ言っているのはある意味無駄。変えたいものがあるならすぐに行動を起こす。そういう人間しか、本当の自由は得られないのかもしれません。

そんなわけで、何でこんな話をしたかといえば、大切なのは”素晴らしいアイデアや天才的な才能”ではなく、それを何が何でもやり遂げるまでやり続けられるだけの意思なのだということが言いたかったわけです。

ある意味、利己的な願望でもいいじゃないですか。それでも本当に周りの非難にも屈せずやり続けられるなら確実に少し世界を変えることができる。

みんなにとって良い方向に世の中を変えることなんてできるかわからないのだから、とりあえず自分の人生、後悔のないように思い切りやってみたいもんですよね。

なぜそれをやるのか?それは突き詰めればあまり根拠のないものなのかもしれません。でも、 生まれ育った過程で、強く根を張っている願望は消えにくいと思います。

たとえば小さい頃からの夢、長く続けてきたこと、若い頃に大きな影響を受けたことなど。

大富豪になった人が、小さい頃貧しかったからその反動で一生懸命働いた、というパターンは多いですが、それなんて典型ですね。

ずっと心でくすぶり続けてきた思いこそ、叶えずには死ねない思いだと思うんです。それがいいか悪いかなんて、誰にもきめられませんよね。

最後には信念がある人間が残る。

というわけで、素晴らしい才能をもっていてもあまり情熱を注げない、好きになれないことを一生やり続けるなんて苦痛でしかない。

人生をかけて何かをやり遂げるとしたらきっとそれは、あなたの心の中で小さい頃からずっと燃え続けている何かにまつわることなのかもしれませんね。