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スパルタ音楽教育は必要か?

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Hiroshi Yoshida

2017-03-10

歴史に残るアーティストの幼少期を見ると、かなりのスパルタ教育を受けた人も多いですね。そうなるとやっぱり厳しく育てないといけないのかな?というと、そうでもない天才もいるわけで。どっちの方がいいのか考えてみました。

夢中になってやっているうちにすごいレベルに到達する天才たち。

辻井伸行の母が語る「わが子の才能を見つけた瞬間」

この教育方針に感動したのでシェア。いろいろな家庭の状況などあると思いますが、僕も基本的には好きで興味をもったことを追求させてもらえる環境に育ったなと思います。(勉強しろというプレッシャーは大きかったですがw)

こうやって成功した人がいる傍で、ベートーベンやモーツアルト、ポップスで言えばマイケルジャクソンなんかも、小さい頃から親にスパルタ教育を受けて才能を開花させていったパターン。

そう考えると一体何が正しいのかわからなくなりますね。

世の中のスパルタ教育っていうのはだいたい、そのスキルがあればお金が稼げる、だから大人が教育するという方向に向いている気がします。お金が稼げれば苦労しないだろうという大人の思いやりなのかもしれませんが。

結果として、そうして得たスキルを活かして世の中で成功できたら賞賛される。しかしそれで本人が幸せなのかどうかはわかりませんが・・

結局、やってきた量と密度の違い。

僕の結論としては、どんな風に、どれだけやったか、ということが結果に反映されるだけだと思います。

だから、好きで夢中になって寝る間も惜しんでやった人と、スパルタ教育で寝ないでやらされた人と、まったく同じ質のトレーニングをやったのだとしたら、スキルの面では同じかもしれない。

でも、やっぱり感情的なものは全く違うでしょう。しかしそれも、楽しくやってこそ得られるエネルギーもあるだろうし、抑圧されてきたからこそ生まれてくるエネルギーというのもある。本人が幸せかどうかは別にしても、作品を見る人が受け取るものはただのエネルギーなのかも。

幸せそうにやっているだけが共感を生むわけじゃない。かといってマイナスの感情ばかり吐き出されてもつらい。それが芸術の、人の心の複雑さであり、魅力なんだと思います。

結果を出したい(だれかの共感を得たい)なら、なんでもいいからたくさんやれ。

これはシンプルで当たり前ですが、これ以外に絶対的な真実はないと思います。

強制され、やらなければいけない状況に追い込まれるからこそ続くこともたくさんある。

人間って本当に、環境に影響を受けて流されがち。楽な方向に流れがち。もっともっと上に、というモチベーションも、最初に興味が湧いているうちは良くても、それを続けていこうと思うとすぐ他のことに目移りしたり。

だからやっぱり、何かを成し遂げようと思ったら、環境を変えて、強制的にやらなければいけないところに自分を追い込むことも時に大切だと思うんです。

僕も大学を出てフリーターになっていなかったら、それなりに働いて普通に暮らせる環境にいたら、どうしても音楽で何か成し遂げよう!という気持ちすら薄まっていったんじゃないかと思います。

そういう意味では、できないと罰を与える!うまくいかないと怒られる!というような教育は必要ないとしても、やりつづけて、成長しないとどうにもならないという環境で切羽詰まって必死になるという状況も、人生のどこかで必要になるのではないでしょうか。

普通に会社に就職しても、そういう局面ってきますよね?それを自分のやりたいことでやるか、仕事だからと仕方なくやるか。

最後に振り返ればおそらく、どちらもやってよかったな、と思える道なんだと思いますが、だからこそ自分の選んだやりたいことを貫くことで、いいわけや逃げ道をなくす、”覚悟”が決まるのではないかと思います。

というわけで、スパルタ教育とは少し離れた話になってしまったかもしれませんがw

やらされている、という感覚があるとどんな状況でも心と体が切り離されたようになってしまって、いろんなことが歪んでいくきがしませんか?だったらリスクを負ってでも、自分の意思を貫く方が前向きに生きられる気がします。

飛び抜けたスキルを持ったスーパースターになるために必要なのは、必ずしもスパルタ教育を受ける方法だけではないはずです。