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歌が上手い、なんて個性の一つくらいでしかない。

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Hiroshi Yoshida

2017-09-10

上手に歌いたいというモチベーションでレッスンに来ていただくみなさんにいつも心に止めておいて欲しい事実。それは上手ければ受け入れられる=仕事になる、ということはないということ。

超一流の技術がありながら、生活もままならない優秀な音楽家はたくさんいる。

必ずしもみんながみんな、音楽でお金を稼ぐ、生活の糧にするということを目指しているわけではないと思いますが、スキル=お金ではないという現実を勘違いしていると痛い目にあいます。

あらゆる場面で、本質的に優れたものではなく、手に取りやすいものが選ばれたりすることが多い。

醤油がなくなったとき、日本中の醤油をくまなく探して最高のものを一番安く手に入れようなんて考える人は相当稀で、

ほとんどの人はいつものスーパーで売っている醤油から、せいぜい今回はちょっと良さげなものを選んでみようかな?と思う程度でしょう。

ということは、スーパーに並ばない時点でほとんどの人にとっては世の中にないものと一緒だということ。ミュージシャンも大いにそれが当てはまります。

インターネットが物理的な制約を変え、理論的にはあらゆる音楽に平等にアクセスできるようになっているといっても

結局は誰かのレコメンド、大きなメディアで話題になっているものが目の前に現れる機会が多く、その辺で気になったものを掘り下げるくらいしかできないのが現実。

そういう意味で、音楽家としていきていこうとするなら、スキルを磨くと同時に知られる努力を怠ってはいけないんですね。

上手いことがありがたがられるのは、演奏の信頼性が求められる場面だけ!?

そんな意味で、とてつもなくレベルの高い技術を極めていったとしても、そのレベルの高さに価値を置いて音楽家を選ぶファンというのは実際少ない。

しかし、裏方の演奏や、指導する仕事などはそういう信頼性が第一なので、そういう場面では求められ続けるでしょう。だから仕事になる。

ただし、それだけが絶対的な音楽の魅力ではない、ということはどこか念頭に置いて居ないと、技術偏重になりすぎたり、一般的な感覚から離れすぎたりしてなかなか生きづらい状況に追い込まれると思います。

幾つになっても、できなかったことができるようになる、うまくなるというのは嬉しいものです。だからどんどんうまくなりたい。しかしそれは純粋に楽しいからやるのであって、見返りを求めるような努力の仕方をしていると”こんなにやったのに何にもならなかった!”みたいな悲しいことになります。

というわけで、僕はよく、”上手い”ってのは個性の一つくらいのもんだよ、と言ってますw 一般的に上手い!と思われるほどの技術がない歌手でも成功している例はたくさんあるし、それをどうのこうの言い続けてもしょうがない。あくまで、自分は自分の理想の音楽をやりたいから追求するだけ。

いろんなスタイルを持って、いろんな信念を持って、それが世に広く受け入れられていても、いなくても、そこに注がれている情熱やエネルギーが多ければそれはどこかで感じられるものだし、どちらがいいとは一概に言えないと僕は思います。

そんな風に、いろんな価値観を認めあえるようになれたら素晴らしいですね。