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作曲における、創作と盗作の線引きはどこ??

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Hiroshi Yoshida

2016-03-03

いいメロディが浮かんだ!と思ったら誰かの何かの曲に似ている・・もしくは全く同じだった・・そんな経験は誰しもあるでしょう。ネット上でもあの曲はあの曲のパクリだとか、そういう話題が度々出ますね。その線引きはどこにあるんでしょうか?

そもそも12音階で作っている以上、メロディは似てしまう運命にある。

歴史的名曲であっても(だからこそ?)、盗作の疑惑をかけられたり、言いがかりをつけられたりするものです。
ジミー・ペイジ、レッド・ツェッペリンの”天国への階段”盗作疑惑裁判で真っ向から反論 (2016/03/03)| 洋楽 ニュース | RO69(アールオーロック) – ロッキング・オンの音楽情報サイト

この、天国への階段というギタリストなら一度は通るという名曲が盗作なのでは?という話ですが、音楽理論など勉強した人ならすぐわかると思いますが、半音でベースラインが下がるクリシェなんてそこらじゅうにいくらでもあります。

そこらじゅうにありふれていれば盗作ではないのか?

それも変な話ですね。だったら誰でも考えそうなメロディなら誰かのパクリでもいいのかという話です。誰でも考えそうなメロディなんて、いっぱいありますよね。

音楽のパクリ論争は尽きることがないですが、現代の人々の多くが慣れ親しんでいる12音階の技法を使って作曲する以上、どこかで聞いたことがあるなんらかのメロディに似てしまうということは避けようがありません。

だから、僕個人的には、意図的に何かに丸々似せたというものでなければ、基本的にオッケーと思っています。

たまたま知らないで何かと丸々同じものになってしまっていた!ということもしょっちゅうあります。でも、あとから気づいたらそれは変える場合が多いです。なぜなら、誰かにアレと同じだ!パクリだ!と言われると純粋に曲を聴いてもらえない可能性が高いからです。

長年たくさんの曲を作ってきた側からすれば、別に悪意があって盗んでいるわけでもなく、たまたまその曲のメロディの流れから、記憶にあったそのフレーズがはまったから、気持ちよかったから出てきたというだけのこと。

音楽としてはそれが自然で美しい形だと僕は思っています。それを、部分だけ取り上げて、パクリだなんだと言われると嫌なので変えるということですね。その時点で曲自体が嫌になることもあるんですが。

なので作る側からすると、こう言った盗作疑惑みたいなことが話題になるたびに、なんだろうなーという気持ちになってしまうのです。

ちょっと前にはこれも話題になりましたね。

「ずっと」は「接吻」のパクリ? 加藤浩次が本人に直撃

たくさん曲を作ってきた僕からしても、この件も、作った人が気づいてなかったという可能性も十分あると思います。では、盗作の線引きはどこにあるのか?というと

世間が非難するかどうか。

というとても曖昧なところにある気がしています。そもそも売れなければ話題にすらならないわけで。世の中の風潮次第というところですね。

作る側の人たちへのアドバイスとしては、自分がいいと思うものであれば何かに似ていても気にしない、というのがいいと思います。違う歌詞がついて、違うアレンジになっていれば全く違うあなたのオリジナルと胸を張っていいと僕は思っていますよ。