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どれだけの壁を超えたかが実力の証。

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Hiroshi Yoshida

2017-06-21

何かを本気でやっていれば、現実の壁にぶち当たることも多々あるでしょう。予期せぬ失敗で実力の足りなさに愕然としたり、苛立ったり。でもそんな思いがあるうちは、まだまだ伸び代があって、どんどん成長しているはず。

チャレンジ、失敗、それは絶え間のない繰り返し。

簡単にできることには大した価値はありません。死ぬほど努力して、それでもできないこともある。だからこそ、それをやり遂げることに価値がある。そんなことだから一生かけても追求してみたいと思える。

そもそもあなたがチャレンジしてる何かは、多分簡単なことではないんです。だからこそチャレンジしたい。

何回も何回もトライして、気がついたらなんかできるようになっていて、その時にはもうそのことすら忘れているし、当然だと思っている。そのくらいが本当の実力。

そのプロセスを飛び越えて何かになれるとしても、そこにそんなに価値があるとは到底思えませんよね。

まずコンフォートゾーンを抜け出す。

難しいこと、新しいこと、リスクのあることにチャレンジしないで、安全安心な場所でいつも通りできることをやる。それはそれで生きていく上では大切な恒常性維持の本能です。

ただ、今あなたが当たり前にできると思っていることのいくつかは、そうやって安全安心な場所を抜けてチャレンジしたから、当たり前にできることなんですよね。

たとえば歩くこと、新しい集団に入ってコミュニケーションをとること、未知の仕事につくこと、それを全てドキドキしながら経験して、それが当たり前になる。

それと同じことを芸術の分野で積み上げていけばいいだけなのに、そういう分野に限ってすぐ”才能がない”、”センスがない”、というような言い訳がたくさん浮かんでくる。

正直、肉体はどんどん年齢とともに柔軟性、適応力を失っていくことは否定しません。やっぱり幼少の頃の吸収力と、大人になってからの吸収力は違うと思います。

しかし、それ以前の段階で自分には無理と諦めてしまう人がどれだけ多いことか。少し世間の常識を置いて、自分の足で踏み出してみれば、そこに新しい世界が広がっているはずです。

壁にぶち当たった時、それでもやるのか??

何かをやり遂げるためには、ある意味狂信的な信念がないと無理です。バカでないと無理です。

僕は高校や大学で自分よりとても賢い、頭の回転が早い、記憶力もすごい、と思う人にたくさん出会いましたが、そんな人たちでも無難な人生しか描いていない例をたくさん見て不思議に思いました。

結局は才能より意思。しかも強烈な意思。それが違いを生むというのは間違いないと思います。

その意思を他人の意思で身につけさせる、というのは正直難しいと思うんですが、壁に貼った目標のように、誰かが”君の夢はこうなんだろ??”と言い続けることで軌道修正させることはできるかもしれない。自分はそんな存在でありたいと思います。