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生徒であるより、アーティストであれ。

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Hiroshi Yoshida

2017-01-13

僕も”音楽スクール”と称して、ボイストレーニングやボーカルレッスンをさせていただいている手前、先生と生徒、という関係性がわかりやすいので便宜上”レッスン”という体にしているのですが、本当はそういう関係でなく、最初からみんなアーティストだという意識を持って接していきたいと思っているんです。

正解を決めるのは先生ではない。

たとえば受験勉強なら、誰かが正解のある問題を設定しているから正解がある。でも世の中のあらゆることに正解などない。

世の中で良いとされているものも流行と共に変わるし、今流行っているものが来年も流行っているかどうかだれもわからない。

もし、権威あるトップが良いとするものが良い、というような価値観がまかり通る業界なら少し話が違うかもしれませんが、少なくとも大衆の心を捉えてなんぼのポピュラー音楽の世界ではそんな権威など関係ない。

相変わらず、TVなどの既存のマスメディアが大きな力を持っている今の日本では、マスメディアに扱ってもらえるようなものが良いとされる風潮がまだあるのかもしれませんが

ここ数年の音楽業界の変わり方を見ていれば、そんな価値観ももう古いということがよくわかると思います。

若いからこそ敏感に感じているリアルな感覚が次の時代を作る。

僕はまだ、JPOPの仕事に関わらせていただいているのもあり、時代の感覚に敏感な方だと思いますが、それでも今の10代の感覚とはかけ離れていると思います。だからむしろレッスンでは、そういう子たちのリアルな声が聞きたいと思っているんです。

そういう世代ならではのメロディのセンス、言葉選び、フレージングなどがあるはずで、それを既存の感覚に修正してしまうのはもったいない。

だから、”正しさ”を押し付けて、個性を潰してありきたりなものになってしまわないように細心の注意を払っています。

それでもずっと変わらない普遍的なものは経験的にわかる。

それでも、長年音楽を追求してきたからこそわかる、ここはこうした方が伝わりやすいとか、こうする方が多くの人に共感を生むとかそういうノウハウはあるわけで。

アーティスト自身の感性も、普遍的な良さも、それぞれ尊重しながらお互いにより良い方向に進んでいこうとする、それが良いレッスンではないかと思っています。

そして、そのようなやりとりはまさに、プロになってもアーティストとプロデューサーとで繰り返される創作のプロセスなんです。

一流のアーティストで、自分の意見を持たない人を僕は知りません。みんな、自分の意見を主張することをためらわないし、納得いくまで譲らない。でも、頑固すぎて一人になってしまったら結局何もできなくなってしまう。

そんな理想と現実とのすり合わせを幾度となく繰り返しながら、一流のアーティストもみんな戦い続けているんです。

どんなことでも、誰かの価値観にただ従ってれば間違いない、なんてことは絶対にない。やっぱり、自分の大切な人生なのですから自分も納得した上で、一緒に切り開いていくべきでしょう。

そんなことを思いながら、今日もレッスンへ行ってきますw